ピーク・コントロールの技巧〜渡部高士のサウンド・デザイン

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ボーカルや楽器の音、2ミックスなどにおいて、特定の周波数帯域の音量がほかよりも大きくなることで発生する“ピーク”。帯域や音量によっては耳に痛く、耳障りになってしまうものですが、昨今はそれを巧みにカットし、スムーズな音像を実現する楽曲が増えています。この企画では、最前線のエンジニア3名が独自のピーク・コントロール術をレクチャー。第3回は渡部高士氏が語ります。

 

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[解説] 渡部高士
<Biography>ロンドンでサウンド・エンジニアとしてキャリアを開始。以来、電気グルーヴ、石野卓球、FPMといったクラブ・ミュージックをはじめ、七尾旅人やCHARAなどの作品の録音/ミックスに携わってきた

 

カセットならではのテープ・コンプレッションを活用

メタル・テープと業務用デッキを用い
ピーク成分を倍音に変化させる

 メタル・テープのカセットが入手困難になってしまうということで、熱心に買い集めていた時期があります。上原キコウ氏の受け売りですが、いろいろな作品のミックスで各トラックをカセットに通しています。それはピークが奇麗に削れるからで、テープ・コンプレッションの恩恵と言えます

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渡部氏のカセット・テープ・コレクション。メタル・テープを何百本と所有しており、各製品のグレードや音質にも精通している

 テープ・コンプレッションとは、アナログ・テープに入力された信号が録音可能な音量を超えたときにひずむ現象です。信号の2〜4kHzにピークがあったとして、その音量がテープに入る上限より少しでも大きければ、超過した部分はすべて倍音になります。その倍音の出方が特徴的なのです。昨今はテープ・シミュレーターのプラグインもありますが、 テープというのは挙動の再現が難しいものだと思います  。一般的なアウトボードは電気系統の特性を測定するなどして再現できますが、テープの効果はフィルム上の磁性体とデッキの機械部品(ヘッドやモーターなど)の相互作用が起こす非常に物理的なものなので、挙動の再現が複雑過ぎると思うのです。だから僕は実機を使っています。


 また、オープン・リールのテープではなくカセットを使うのは、往年の業務用のテープ・マシンができるだけヘッドルームを広く取り、なるべくひずまないように作られているからです。それを再現しても、普通の設定ではなかなか特徴的なテープ・コンプレッションが得られないのです。


 僕が愛用している業務用のカセット・デッキ+メタル・テープという組み合わせは、いわゆるローファイな音質ではありません。デッキはTASCAM 122MKIIIという3ヘッド機で、良いテープを使えばむしろかなりハイファイですし、優しいテープ・コンプレッションが得られます。“カセットに通したよ”と言わなければ誰にも分からないと思います。

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メタル・テープの録音/再生に使っている業務用のカセット・デッキ、TASCAM 122MKIII。3ヘッドの機種なので、DAWの音を録ったそばから再生し、リターンすることができる。渡部氏はこのほか、NAKAMICHIのハイエンド・デッキなども高く評価している

デッキをプラグインのようにして使用
テープ以外の部分でのひずみに要注意

 カセットに通す素材はさまざまで、エレピでもドラムでもボーカルでも、ピークのあるものは何でも対象です。やり方は、DAWに録音済みの素材をデッキに送って、デッキからDAWに戻すというものです。そのためにDAコンバーターの音声出力をデッキの入力に接続し、デッキの出力をADコンバーターの入力につなぎます。DAWから素材を送出すると、カセットに録音したそばから再生され、戻ってきた信号(リターン)をDAWに記録できます。 “録音したそばから再生する”というのは3ヘッドのデッキ特有の機能です。


 ただしD/A→録音ヘッド→再生ヘッド→A/Dという経路を通るので、素材とリターンには時間差が生じます。それを補正するためにSTEINBERG Nuendo/Cubaseの標準搭載プラグインExternal FXを活用しています。これがあればデッキをプラグインのように扱え、ほかのトラックと一緒にモニターして効果を確認することができます。

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STEINBERG Nuendo/Cubaseの純正プラグイン、External FX(画面右上)。アウトボードなどの外部プロセッサーを使用する際に、入出力のレイテンシーを補正したり音量を調整することができる。画面は122MKIIIのための設定で、“Delay”欄を見ると94.85msのレイテンシー補正がかかっている。画面左の大きなウィンドウは、AD/DAコンバーターとの接続などを表すもの

 カセットへの録音レベルはリターンを聴きつつ判断しますが、大抵はデッキのVUメーターが振り切れるくらいまで突っ込みます。そうすることで、ちょうど良いテープ・コンプレッションが得られます。録音時は、オーディオI/Oやデッキの入出力で電気的にひずまないよう注意しましょう。

ゲートを駆使したエンベロープ・デザイン

耳に痛い成分が鳴っているところで
開き切らないように設定する

 ピーク処理の手段としては、ゲートも有効です。日本ではノイズ・ゲートのイメージが強く、ほかにはゲート・リバーブくらいにしか使用されてこなかったと思いますが、実はいろいろな用途に使えます。例えばエンベロープ・シェイパーのような処理、またはより細かい音作りにも使えるのです。


 ゲートはダイナミクス系プロセッサーの一つで、名称の通り“開く/閉じる”という門のような動きをします。開き始めるのは、入力された信号(原音)の音量がスレッショルドを上回ったときで、その時点から音が聴こえ始めます。門の向こうに居る人が、開門によって見え始めるようなイメージです。閉じるのはリリース・タイム(後述)が終わったときで、その時点で音が聴こえなくなります。原音そのものが鳴り続けていても聴こえなくなるのです。

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ゲートの動作を模式化した図。赤い線がゲートの開閉(ハードウェアのゲートで言うところのVCAレベル)、青が入力信号のオリジナルの音量、緑がゲートのかかった後の音量を表している。入力信号がスレッショルドを上回ったときから開き始め、全開の状態が続いた後、徐々に閉じていくという流れだ。開き始め~全開の時間はアタック・タイム、全開をどれくらい維持するかはホールド、閉じ始め~閉じ切りの時間はリリース・タイムで設定する

 ご存じの通り、音には立ち上がりから減衰までの音量変化があります。どう変化していくかは音色によってまちまちなのですが、例えば、ある時間をかけて立ち上がって最大音量に達し、そこからある時間をかけて減衰していくような変化です。仮に、2ms(ミリ秒)かけて最大音量に達するハイハットの音色があり、その最大音が耳に痛かったとしましょう。このハイハットにゲートを挿して、最大音を過ぎるまで開き切らないように設定します。すると最大音が元よりも小さく聴こえ、耳に痛くないハイハットになり得るのです。これがゲートを使ったピーク処理の概念です。

 

アタック・タイムとリリース・タイムを
0msにするところから始める

 ゲートにはアタック・タイムというパラメーターがあり、開き始めから開き切るまでの時間を設定できます。 開き切っていないときは、原音が完全には外に出ないので、元よりも小さく聴こえます。半開きの門から、向こうに居る人が半分だけ見えるようなイメージです。先ほどのハイハットがスレッショルドを超えてから1msで最大音に達するとすれば、アタック・タイムを1msより長い値にしておくと、耳に痛いところを元よりも小さな音量にできる場合があります。


 メカニズムについて考えてみましょう。例えばアタック・タイムを5msに設定します。5msというのは200Hzの1波長ですね(1秒=1,000msの間に200の波を持つのが200Hzなので、1,000ms÷200で1波長は5ms)。つまり、200Hzの1波長が鳴る間はゲートが開き切っていない状態ですから、400Hzは2波長、800Hzは4波長、1.6kHzなら8波長で、3.2kHzだと16波長……というように、 高い成分であればあるほど多くの波が外に出られず、結果、音量が下がります。まとめると、先のハイハットにアタック・タイム5msのゲートをかけたら200Hzよりも高い成分の音量が下がって、全体として丸みのある音になるということです。


 ゲートには、ほかにもいろいろなパラメーターが備わってます。例えば ホールドでは、原音の音量がスレッショルドを下回った後に、ゲート全開の状態をどのくらいの間キープするか設定することができます。前出のリリース・タイムは、ホールドの時間が終了した時点から、どのくらいかけてゲートを閉じるのか設定するものです。リリース・タイムが短ければ短いほど、音の余韻が急速に減衰します。


 ゲートを使用する際のコツについて説明しましょう。まずはアタック・タイムとリリース・タイムを0msに設定し、スレッショルドを下げていきます。 やがてゲートが開いて音が聴こえ始めるので、なるべく短く、かつ安定して鳴るようにします。ブチブチというノイズが発生したり、音が出るたびに鳴りがバラバラだったりしてはいけません。ゲートはゲートでも、製品によってはホールドをある程度の長さにしておかないとノイズが出てしまうので注意しましょう。出音が安定したら、アタック・タイムを緩やかにしていきます。すると、耳に痛いところが削れた丸みのある音を得られるはずです。あとは、リリース・タイムを伸ばして音全体の長さを調整すれば良いと思います。

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WAVES C1ゲートの設定例。画面左上セクションの右列がゲートのパラメーターだ。まずはアタック・タイムとリリース・タイムを0msにしてからスレッショルドを下げていき、出音が安定したら各タイムを緩やかにしていくと音作りしやすい

Topic
コンプとの重ね技でさらなるサウンド・デザインを!

  ゲート後段でコンプを使えば、さらなるボリューム・エンベロープのデザインが行えます。本文中のゲートの解説の中に、アタック・タイムを緩やかにして丸みのある音を得るくだりがあります。この状態の音にコンプをかけてみましょう。想定する素材は4つ打ちのROLAND TR-909系キックです。


 TR-909系のサンプル・キックにはプチッという高域成分を含むものがあり、それを取り除くためにゲートをかけたとします。するとマイルドな音になるわけですが、アタック感が薄くなってしまったので、コンプで復活させようというわけです。設定のポイントは、アタック・タイムを遅くレシオを高めにし、メイクアップ・ゲインを持ち上げるというものです。キックに程良いアタック感が出ると思います。

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ROLAND TR-909系のサンプル・キックにかけたC1の設定例。立ち上がりの部分にあった“プチッ”というピーク成分を削って、丸みのある音色にしている

 もしリリースをよりタイトにしたいと感じたら、コンプの後段にゲートを挿してみましょう。リリース・タイムを速めにしてかけると、伸びた部分がカットされ引き締まった音になります。このように  ゲートとコンプを併用すればボリューム・エンベロープを自在に作り替えられますし、両者共、製品によってキャラクターが違うため、組み合わせでバリエーションを出すことができます

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C1の後段にかけたIZOTOPE Neutronのコンプ。ピークを削った後に、アタック感を付与するために使用されている。設定のポイントは、遅めのアタック・タイムと高めのレシオだ

 ちなみに、エンベロープ・シェイパーはゲートとコンプを複合させたようなプロセッサーです。例えば、エンベロープ・シェイパーの“アタック”というパラメーターを上げていくと、ゲートのアタック・タイムを速くしつつコンプのアタック・タイムを遅めるのと同様の効果が得られます。複数のパラメーターをワンノブで同時に動かせるような設計なので、非常に便利ですが、より細かい調整が可能なのはゲート+コンプの方でしょう。