Lori Fineとのユニット=COLDFEETでプログラマー/ベーシスト/DJを務めるWatusiと、テクノやアンビエントを手掛けるクリエイター/DJのHIROSHI WATANABE。エレクトロニック・ミュージックの手練れであるこの2人に、Watusiのプライベート・スタジオ、Brickwallにてエレクトロニック・ミュージックの名盤を語り合ってもらった。海外からのリリースも経験し、ワールド・ワイドな知見を持つ彼らのバックグラウンドに迫る。
Interview:Yuki Nashimoto Photo:Hiroki Obara
Watusi(COLDFEET)
【BIO】Lori FineとのユニットCOLDFEETのプログラマー/ベーシスト/DJとして、国内のみならず欧米やアジア各国でも多くの作品をリリース。中島美嘉やhiro、安室奈美恵、BoAなどの楽曲プロデュースを手掛け、アンダーグラウンドとメジャーの接続を試みてきた
HIROSHI WATANABE
【BIO】Kaito名義を中心に繊細かつ美しい作品をリリースすると同時に、DJとして国内外問わず多数のビッグ・イベントでパフォーマンスを行うクリエイター/DJ。自身の名義やQUADRAといった変名でも活動しアニメ/ゲームなどへの楽曲提供なども数多く手掛ける
シーケンサーの進歩によって生まれた
インテリジェント・テクノ
ー音楽制作における礎になった作品は何ですか?
HIROSHI WATANABE(以下WATANABE) 音楽制作に多大な影響を受けたのは小学3年生のとき。ダンス・ミュージックではなくて、映画『スターウォーズ』のサウンド・トラック、ジョン・ウィリアムズ『The London Symphony Orchestra - Star Wars』のレコードでした。父が作った防音室で、部屋を真っ暗にして爆音で聴いて、ひたすら宇宙を感じてトリップしていました。上も下も無い、自分が宇宙に飛び出していくイメージ。SF映画が当時放った近未来=エレクトロな感覚を享受した人って、結構多いんじゃないでしょうか?
Watusi 音楽を聴いて情景が浮かんでくる。体験としてはある種エレクトロ的だね。
ーどの辺りがエレクトロなのでしょうか?
Watusi 目を閉じて個々でクリアな情景が浮かぶことが、それだけエレクトロには大事だと思っています。“ハウスはユナイト、テクノはユニバースする音楽”なんてよく言うんです。
ーWatusiさんがエレクトロニック・ミュージックで衝撃を受けた作品はありますか?
Watusi デビッド・ボウイ『ロウ』(1977年)です。ブライアン・イーノとの共作で、ロック・スターのアルバム片面が全曲インストという斬新さに当時驚きました。既に現代音楽家にシフトしたイーノがロック・スターと作ったというのが良いですよね。リリース時はディスコが盛り上がっていた時代ですから、いろいろと衝撃的だった作品です。
WATANABE ブライアン・イーノが作ったアンビエント/環境音楽というジャンルからの影響、現代音楽視点からのスティーヴ・ライヒを筆頭とした真のミニマル・ミュージック、ATARI、Mac、シンセの爆発的進化によって1990年代に出てきたのがインテリジェンス・テクノですよね。
Watusi 1990年代から急激に打ち込みが細かくなって、重箱の隅まで奇麗にリズムがそろいはじめた。シーケンサーの性能が上がって、細かい打ち込みが可能になったんです。エイフェックス・ツイン『Richard D. James Album』(1996年)が象徴的な作品でした。彼は翌年『Come to Daddy』をリリースするんですけど、繊細な曲も振り切りまくった曲も作れるというのが印象的でしたね。
WATANABE 激しさと穏やかさの2面性が魅力的ですよね。彼を語るなら『Selected Ambient Works 85-92』(1992年)も外せません。アンビエント音楽にビートを入れた作品としては完全に先を行っていた。浮遊感のあるアンビエントな上モノに、エレクトロ・ビートをこれほどうまく融合できた人は居なかった。題名の通り1985年から1990年にかけて録音した楽曲をコンパイルしているんですけど、それが相当早い。
Watusi いわゆる王道となる1990年代のエレクトロ・サウンドに“チルアウト”と言われるジャンルがあります。チルアウトは、レイブやハードコア・テクノのイベントで、ハイな状態から日常に戻る緩衝材としての音楽が必要とされていた。象徴的に登場したのが、ビートの無いThe KLF『Chill Out』(1990年)です。ここからジ・オーブとオウテカがシーンに登場してくる。でもまだみんな現役なのがうれしいですね。
WATANABE ジ・オーブは『The Orb's Adventures Beyond the Ultraworld』(1991年)が外せません。
ー1990年代に大きな発展を遂げたのですね。
Watusi 当時は “西のワープ・レコーズか、東のXLレコーディングスか”みたいなところがありました。ワープ・レコーズ初期のコンピレーション『Artificial Intelligence』(1992年)も聴いてほしい。変名ですがエイフェックス・ツイン、オウテカやブラック・ドッグなどそれ以降の役者がそろっています。
WATANABE XLレコーディングスにも『The Second Chapter』(1991年)という名コンピレーションがあります。この辺はブレイク・ビーツ・テクノで、シンセはもとよりサンプラーがふんだんに使われた打ち込みが主流でしたね。
ファンクとジャズの要素を混ぜる
カール・クレイグの手腕に脱帽
ー2000年代以降の名盤もおうかがいしたいです。
WATANABE カール・クレイグのサウンドは、恋しちゃうくらいすごかった。どれも名作ですけど、強いて挙げるなら『Just Another Day』(2004年)は、カールのすごみを見せ付けた完成形。彼はエレクトロ・サウンドとDJ視点だけではない、多くの音楽的な要素を持っているのが魅力的なんです。
Watusi カール・クレイグは音楽も本人もインテリジェントな感じですよね。DJのミックスも本当に繊細。カールクレイグの楽曲をイケイケのテクノとリミックスすると、カール・クレイグの繊細さが残りながら、おバカになって個人的にはそういうのも楽しくてね。DJでよく使っています。
WATANABE カール・クレイグは良い具合に、ファンクやジャズのエッセンスが常に入っていながら、どの曲もしっかりテクノに収めているのが気持ち良くて素晴らしい。そういう意味では最高のフュージョン・テクノだと思う。
Watusi ダンサブルなのに絵画的ですよね。
WATANABE デトロイト・テクノは共通してメランコリックさを取り入れているのが特徴で、街や彼らが受けてきたヒストリー、カルチャーの背景から音楽を表現しているんです。
レイ・ハラカミ『ラスト』は
日本人だから成せるち密さを感じる
ー日本の音楽で感銘を受けた作品はありますか?
Watusi 日本が生んだ天才、レイ・ハラカミの『ラスト』(2005年)。こういった質感の作品ってアメリカからは出てきそうにない。ベットルームの宮大工ですよね。日本の土壌と機材、そしてマニア気質があっての傑作です。
WATANABE 元から持っている独自性って大切ですよね。昔アメリカでメタル・バンド=アイアン・メイデンの爆風みたいな音圧のライブを見たときに“日本人が表現できる音楽をしっかり見出していかないと、アイデンティティを確立することはできないな”と思ったことがあります。
ー近年リリースされた作品で好きなものはありますか?
Watusi アルカの一連の楽曲は面白いと思いました。ただエレクトロの王道な部分って1990年代からそんなに変わっていないようにも思う。
WATANABE 『ブレードランナー 2049』のサウンドトラックです。シンプルな旋律と重厚なシンセ・ワーク、その空間を自在に操るリバーブの絡みが見事で、映画を見ながら音に感動していました。
多くの経験で培った感性が
名盤のとぎすまされた音を紡ぐ
ー今回多くの作品を挙げていただきました。
WATANABE 自分のサウンドを磨くきっかけとなった作品を聴き返せて、すごく面白かった。久しぶりに聴いてみると、やっぱりどれも良い音。当時のベッドルーム・プロデューサーは決して高額ではない機材を使ったり、制約された中で工夫しながら作っていたものであっても、いまだに魅了される“つや”を感じます。
Watusi 俺が伝えたいのは、機材を愛でたり情報収集しているばかりじゃなくて、時代を作ったさまざまな音楽を聴き、まずは感性を磨いて、ってことかな。とぎすまされた音っていうのは、お金より時間がかかっているんです。今は安価で十分過ぎる機材がそろっていますが、そうした感性やパッション無しでは名盤を作ることはできませんから。
特集「私の礎となった名盤」
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