ストリーミング・サービス上の音楽がスマートフォンで再生され、Bluetoothイアフォン/スピーカーなどで聴かれる昨今。マスタリング・エンジニアは、どのような方法で音作りしているのでしょう? ここでは、yasu2000氏がオルタナ・ダンス・ミュージック・デュオUilouの「マチアワセ」を題材曲として、マスタリングを実演。“ストリーミング・サービスでの単曲配信”をテーマに、AVID Pro Toolsにてプラグインのみを使い、音作りを行います。解説記事と併せて、マスタリング前の2ミックス+yasu2000氏が音作りした後の音源を用意しているので、本文末のURLからダウンロードの上、お楽しみください。マスタリングのビフォー/アフターだけでなく、途中経過を聴ける音源も含みます(文中♪が音源の対応箇所)。
スマホ+小型スピーカーでも、すべてが聴こえるように
題材曲が4つ打ちメインの歌モノなので、それに類する曲としてカルヴィン・ハリス&デュア・リパの「ワン・キス」をリファレンスにしてマスタリングすることにしました。
リファレンス曲
「ワン・キス」は音圧が高く、ボーカルが入っている部分のRMS値は-7~-6dB。グラミーを受賞するような近年のUSメインストリーム系は、どれも同程度の音圧で、あらゆる音が前に張り付くよう仕上げられています。それは恐らく、小型Bluetoothスピーカーやスマートフォン内蔵スピーカーでも、すべての要素が聴こえるようにしたいから。近頃のリスナーの再生環境を考慮した音作りですね。
というわけで、題材曲に対しても同様の方向性を採っています。スマホ+小さいスピーカーで再生されるようなとき、いかにディテールまで聴こえるようにするか。そのために曲全体の周波数特性の整形、高域の段階的なブースト、倍音の付与、各帯域の音量ムラの抑制などを行いました。作業はまず、マスタリング用のエフェクト・チェインを Pro Toolsに読み込み、不要と判断したものをオフに。IZOTOPE Ozone 10を1つのプラグインとして考えると、計10台をインサート・スロットに挿しています。それでは音作りを手順に沿って解説していきましょう。
音源提供アーティスト
Uilou
ボーカルjune-chanと音楽プロデューサーAFAMooからなるオルタナ・ダンス・ミュージック・デュオ。チャーミングな歌声とメロウでダンサブルなトラック、時代感覚に優れたユニークな歌詞が特徴。『Electropolis』や『キラキラポップ:ジャパン』などのSpotify公式プレイリストに多数選出。2023年7月にはtofubeatsによるリミックス曲「ヒミツ(tofubeats Remix)」をリリースし、さらに注目度を高めている。Spotifyポッドキャスト『Cafe Uilou』では、Uilouの2人がリアルな姿でトークを展開。
本稿の題材曲
「マチアワセ」
Uilou
(Uilou)
注目曲
1. 0dBギリギリ手前まで上げる
まずは、2ミックス♪⓪の音量を上げるためにコンプをかけます。クリップゲイン(オーディオ・クリップの音量を調整するPro Toolsの機能)で上げてもよいのですが、味付けしつつブーストしたいので、チューブ系コンプUNIVERSAL AUDIO UADX Capitol Mastering Compressorを使用。
マスタリング前の2ミックスの音量は、最も大きな部分を0dBより少しだけ下にしておくのが良いと思います。ビット・レートが24ビットなら、その24ビットをフルに近い状態で使うことで、音の解像度が高くなるからです。音量の調整はミックスの段階で行うのがベター。ダイナミック・レンジを保った状態で、最大音量が0dBを超えていなければ、マスタリング用の素材として問題ないと思います。
コンプの設定の肝は、スロー・アタック。アタックをつぶして音圧を上げるのは最終段のリミッターの役目なので、この段階ではアタック感を維持したまま緩くコンプレッションします。キックの後に来るベースやボーカルが少しだけつぶれて、このプラグインならではの質感になるのです♪①。
2. サビが大きくなるよう音量設定
次の工程のポイントは、サビがほんの少し大きく聴こえるようにボリューム・オートメーションを書くことです。オートメーションは、2ミックスを入れたトラックのボリューム(フェーダーの手前で音量を調整する部分)に設定。サビは0dBのまま、ほかの部分を0.5dB下げます。狙いは、サビをさりげなく際立たせること。一聴して分かる音量差ではありませんが、これくらいでも何となく迫力が増すような印象を与えられると思います。
近年のUSのメインストリーム系には、サビで全体の音量が上がるものを数多く見かけます。例えばポスト・マローンの「ケミカル」は、サビのRMS値が平歌よりも2dBほど高く、意識的に音量差をつけたような作りです。それがマスタリングによるものかミックスによるものかは分かりませんが、ラウドネス・ノーマライゼーションがかかってもサビが浮き出て聴こえるようになっていると感じます。
3. アナログ系EQで大まかなキャラ作り
続いてはアナログ系のEQを使い、格好良いキャラクターを“ざっくりと”作る工程。まずはUADのChandler Limited Curve Bender Mastering EQで、主に低域と中域の味付けを行います。おいしいのは70Hzのブースト。このプラグインは低域を上げたときの質感が良く、個人的には70Hzを触るのが好きです。倍音の出方やEQカーブの設定が良いのでしょう。1kHz台も、少し上げるだけで歌の質感が良くなります。題材曲では1.2kHzを1dB、1.8kHzを0.5dBブーストしました。調整する周波数ポイントは、音を聴きながら良い感じになると思ったところ。ブーストして耳に痛いところが出てきたら、後述する補正用のEQでカットします。
UAD Manley Massive Passive EQは、主に高域を味付けするためのものです。ブーストするとキラッとしたりツルッとしたりするのですが、耳に痛くなりにくいのが魅力。周波数ポイントは、大ざっぱに上げてみて良い感じに聴こえるところを選びます。このプラグインでは、UAD Chandler Limited~のウォームな音とは違うキャラクターを加えられるので、まさに両プラグインの良いとこ取りのような併用です。
さて、先ほども触れましたが、僕はアナログ系のEQで倍音を加えつつキャラ付けした上で、前段に補正用のEQを挿して細部を調整します。プリEQのような感覚ですね。これはアナログ系EQ→補正用EQというルーティングよりも音の質感が良くなるからで、倍音を加えた後、トゥー・マッチになった部分を整えていくという流れも理にかなっていると思います。
4. アタックを強調し高域をブライトに
ここからは、多彩なエフェクトを備えるIZOTOPE Ozone 10での音作りです。題材曲が4つ打ち主体でダンサブルなので、まずはダイナミクス系のImpactを使い、8分音符の表拍のアタックを強調します。目的のタイミングをボリューム・フェーダーで上げるような効果が得られますね。
ImpactはDAWセッションのテンポと同期させることができるので、マスタリングで使う場合は事前に曲のテンポを把握しておくと便利です。僕は今回、Pro Toolsの機能でテンポを検出しています。
Impactの前段には複数のエフェクトを挿していて、重要なものの一つにEqualizerがあります。使用目的は、高域のブースト。M/Sでイコライジングしています。マスタリングのために納品されてくる曲は、高域が控えめになっていることが多いです。それはミックスが長時間の作業で、どうしても耳が疲れるため、無意識的に高域を和らげているからでしょう。だからブライトにするマスタリング・エンジニアが多いと思いますし、小さいスピーカーでも明瞭に聴こえるようにするには、高域をある程度“突っ込む”必要があります。
それに、今回は“単曲配信”がテーマなので、高域を上げて派手に聴かせる方向。アルバムの場合は、通しで聴かれることが前提ですから、聴き疲れさせないために派手な曲/そうでない曲という変化を付けますが、シングルは単体でアピールできるよう派手にしてOKだと思います。が! 高域の上げ方にはコツがあるので、引き続きお付き合いください。
5. 各帯域の音量ムラを抑え高域をより明るく
Equalizer後段のマルチバンド・コンプ=Dynamicsも重要です。音作りの最終段階まで調整を重ねることが多く、各帯域の音量の暴れを落ち着かせ、安定感を作り出すのが目的。では、なぜ安定感が必要なのか? リスナーがイアフォンやヘッドフォンで音楽を聴くときは、特に題材曲のようなダンス・トラックの場合、低音が気持ち良く聴こえる音量に設定すると思います。その際、シンセやFXなどの中~高域の音が突発的に大きくなると耳障りに感じられ、安心してリスニングできません。それに音量のムラは、曲の完成度を低く感じさせてしまうと思います。
シングル・バンドのコンプは、全帯域において突出した音を抑えることしかできませんが、マルチバンド・コンプなら音量が小さい帯域のムラもなくせます。演奏のニュアンスに至るまで安定感を与えられますし、今やマスタリング・エンジニア必携のエフェクトだと言えます。
低&中低域のリリース・タイムもポイントです。僕はキックが重く聴こえすぎないように8~12msを1ms単位で試すことが多く、軽やかにしたければ短くします。ミックス中にトータル・リミッターを試さない人は、低音を長めにしている傾向です。すると、マスタリングでリミッティングしたときに間延びしやすいので、タイトにする処理が必要。マルチバンド・コンプなら、それが可能です。
Dynamicsの後、Low End Focusで241Hzより下を少し上げてから、Vintage EQで中高~高域を持ち上げています。“また高域を上げるの!?”と思われるかもしれませんが、マスタリングでは複数のEQを使って段階的にブーストしていくのがコツだと思います。単一のEQで大幅に上げると耳に痛くなりやすいものの、多段がけなら各EQの特性が混ざり合って、良い具合になることが多いのです。Vintage EQはM/Sモードで使用し、5kHzと8kHzのミッド成分、4kHzと12kHzのサイド成分にアプローチしています♪②。
6. リミッターで音圧を、クリッパーで個性を
ここまで来たら、最終的な音圧を決める段階です。まずはリミッターFABFILTER Pro-L 2の入力ゲインを設定。リファレンス曲と同程度の音圧が得られるよう+7.4dBにしています。ほかのリミッターを使ったり、異なるリミッターの2段がけを試したりもしたのですが、APPLE AirPods Proで聴き比べてみたところPro-L 2のみでの結果が最も良かったので、これ一台で進めることにしました。
Pro-L 2の後段には、SIR AUDIO TOOLS StandardClipを挿しています。これはクリッパーと呼ばれるエフェクトで、音圧アップや倍音付加に使われますが、個人的には“素通し”が一番だと思うんです。通すだけで音にストリート感のようなものが出て、ヒップホップ的なテイストになります。Pro-L 2が聴き慣れた感じのポピュラーな音だと思うので、個性をプラスする意味でも“ちょっと珍しい質感で締めたいな”と。StandardClipを最終段に挿すことで、リスナーの耳にとまるようなフックを与えています♪③。
7. 理想の周波数特性=波形になるようEQ処理
続いては補正用のEQで周波数特性を整えます。僕のマスタリングの要であり、最も入念に取り組む工程です。このイコライジングの狙いは、USのメインストリーム音楽のような周波数特性にすること。聴感もさることながら、重要なのはアナライザーに現れる波形です。20Hzから音量が緩やかに上がりはじめ、50Hz辺りが最大。中~高域に向けてなだらかに下がっていく、というのが理想的。アコギ弾き語りのような曲は低域よりも中域が大きいですが、ビート入りの曲では50Hz辺りを頂上とします。2ミックスの波形がそうなるよう、耳と一緒に“目”でもイコライジング。僕は、目で確認しつつ波形を整えるという方法を結構、信用しています。
題材曲は、元の状態でも50Hz周辺が頂上で、低域がしっかりとしていました。ただ、20kHz辺りが非常に少なかったため、SLATE DIGITAL Infinity EQのハイシェルフEQで18.5kHzをブースト。すると耳に痛い帯域まで上がってきたので、6kHzをカットしました。そして理想の“なだらかに下がっていく波形”にすべく、11kHzと19kHzに段々とカット量が増えていくイコライジングを施しています。なお、画面内で白い点が付いている周波数はステレオ、黄または青の点の周波数はM/Sのモードです。
100~200Hz(65.8Hz、105Hz、159Hz)をブーストしているのは、50Hz~500Hzのなだらかな坂を作るためです。元の状態では100~200Hzが500Hz帯よりも小さく、坂の一部が抜けているような感じでしたが、ブーストしたことで奇麗な形になって音に奥行きが出ました。
ちなみに、159Hzはサイド寄りの成分を16.3dBブーストしています。この辺りの帯域は、ミッド成分を上げるとキック、ベース、ボーカルの分離が悪くなりがちです。サイド成分を上げることで、この坂を作り出すというのは、マスタリングでしかできないバランスの整え方でしょう。20Hz以下も、サイド成分をローシェルフEQで3dBブーストしました。リファレンス曲の低域がワイドなので、その現代的なテイストを取り入れたんです。
中域に関しては、1.3kHzのミッド成分をカット。ギュ〜っと詰まった印象というか、ボーカリストが喉(のど)に力を入れて歌っている感じだったからです。でも、このカットを入れると歌がふわっと浮いたというか、軽やかな雰囲気になったと思います。ゲインをカットの状態にして周波数ポイントを動かし、“ここで軽やかに聴こえる”というのを耳で探りました♪④。
8. 耳に痛い帯域をダイナミックEQでカット
Infinity EQの後段に挿したFABFILTER Pro-Q 3です。ダイナミックEQモードを使用し、耳に痛い11.4kHz辺りを0.07dB、13.9kHz辺りを0.03dBカットしています♪⑤。マスタリングは、小数点以下の勝負ですね。耳に痛い帯域は、ヘッドフォンのSONY MDR-CD900STでモニタリングして見つけています。
9. エンハンサーで中域の倍音を“修復”
先のPro-Q 3の次には、エンハンサーとパラメトリックEQを組み合わせたエフェクト=WAVESFACTORY Spectreがスタンバイ。目的は倍音の付加で、滑らかな聴感を得られるという特徴があります。気に入っているアルゴリズムは、“修正”を意味するRectify。プラグインをたくさん使ううちに音やせしてしまうことがありますが、それを修復してくれるイメージです。題材曲では718.5Hzを0.51dB、3.02kHzを0.2dB上げて倍音を足しています♪⑥。
10. “色味”を出すために中域を少しブースト
いよいよ最後の一押し。EQで中域の数カ所をほんの少しずつ上げ、“色味”を出す処理です。ミックスやマスターには色調のようなものがあると思っていて、例えば低域と高域を重視するあまり、300~600Hz辺りの中域をおろそかにするとモノクロっぽい印象になると感じています。つまり、全体像をカラフルに聴かせるのは中域なのではないかと。特にマルチバンド・コンプやリミッターをかけた後は、あらゆる帯域がならされて前に張り付くので、どこかを0.数dB上げるだけでも目立たせやすいというか、際立たせやすいと思います。
そこでPro-Q 3を使い、中域を上げてみましょう。今回は363.8Hzを0.65dB、462Hzを0.57dB、551Hzを0.3dB、そして607Hzを0.26dBブーストしました♪⑦。これが最も作用するのは、ボーカルだと思います。歌モノの場合は、ボーカルの色調で曲の印象が変わるでしょう。
ちなみに、アウトボードのチューブ・コンプやチューブEQは大抵、中域の倍音が豊かなんです。だから色味を出しやすく、使うか使わないかで音の滑らかさも変わってくる。僕がボーカルにチューブ系の機材を使うのは、色味を出すためという場合もあります。
Conclusion|“こう聴かせたい”というイメージを崩さずに音作りするのが大事
Uilou「マチアワセ」の2ミックスを題材として、僕のマスタリングの工程をご紹介しました。今回は自由に音作りさせていただきましたが、普段は必ず依頼主の考えを伺うようにしています。“好きにやってください”と言ってもらえたら積極的に音作りしますし、精緻に作り込まれたミックスであれば、印象を変えないように十分な音圧に持ち上げます。曲やミックスの作り手側で出来上がっているイメージは、崩してはならないと考えています。最終的な音は、必ずしもマスタリング・エンジニアが決めるのではなく、どう聴かせたいかというのを持っている人だと思いますしね。
◎連動音源は、ここから(https://www.rittor-music.co.jp/e/srdl/202310/download/)ダウンロード!
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- 内容は24ビット/48kHz WAVのオーディオ・ファイル×8つです(容量は合計で約240MB)
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- ダウンロード期限は2023年8月25日から1年間です
- ダウンロードした音源は、試聴での使用に限らせていただきます。賃貸業に利用すること、個人的な範囲を超える使用目的で複製すること、ネットワーク上にアップロードして送信できる状態にすること、または第三者が聴ける状態にすることを禁じます
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