1987年、音楽の“新しい地図”を追い求めた坂本龍一が、ニューヨークの奇才、ビル・ラズウェルとの共同プロデュースで作り出したアルバム『NEO GEO』。沖縄音楽やガムラン、ファンクなどが幾層にも織り交ぜられた楽曲は、坂本らしさにあふれながらも、当時は彼の変貌ぶりが唐突にも感じられた。しかし今の視点で1987年を振り返ると、坂本の変化が何を意味していたのか、さまざまなことに気付かされる。今回、バーニー・グランドマンがデジタル・リマスタリングとカッティングを行った新装『NEO GEO』を聴きながら、37年前に坂本が描いた地図の真価をあらためて探ってみよう。
人力グルーヴとFairlightの競作
「NEO」はラテン語で“NEW(新しい)”を意味し、「GEO」は“GEOGRAPHY(地形)”や“GEOMETRY(幾何学)”の語源である、地球や空間に関係するギリシャ語。坂本は、欧米やアジア、アフリカ、中南米といった地域や民族の区分、そして民族音楽や西洋音楽、現代音楽、ポップス、ロックなど音楽の区分によらない、どこにも属さない新しい音楽の世界地図を描こうとした。そのためにタッグを組んだ相手は、1984年から音楽的交流のあったビル・ラズウェル。彼が1987年、東京をベースに日本やアジアのアーティストを世界に紹介しようとCBS/SONY内に立ち上げた新レーベル“TERRAPIN”第1弾作品として、インターナショナルなリリースを前提に『NEO GEO』は制作された。このコラボレーションに多大な役割を果たしたのが、YMO期以前から坂本の重要なパートナーであった生田朗だった。
制作手順も新しいものだった。1987年1月、当時の坂本としては珍しく事前に音響ハウスでデモを制作。YAMAHA DX7 II-FD、SEQUENTIAL Prophet-5、E-MU Emulator II、PPG Wave 2.3などを使用し、この段階では生楽器の代わりにFAIRLIGHT Fairlight CMIシリーズIII(以降、Fairlight)が用いられた。2月中旬にNYへ飛ぶと、坂本がリクエストしたスライ・ダンバー(ds)やブーツィー・コリンズ(b)、ビル推薦のトニー・ウィリアムス(ds)ら、異ジャンルのトップ・ミュージシャンが集まりThe Power Station(現・Avatar Studios)でレコーディング。窪田晴男(g)も参加し、現地マニピュレーター、ジェフ・ボヴァはFairlightやKURZWEIL 250、RHODES Chromaなどを持ち込み、SONY PCM-3324ですべてデジタル録音された。そして3月上旬に一時帰国し、東京で沖縄コーラス録音とシンセ・ダビング。最後に「RISKY」の歌を録り、3月末から約1カ月間、再びNYでミックスが行われた。
ただNY録音では、機械的なリズムを好む坂本と有機的なグルーヴを求めるビルとで意見の相違もあり、坂本は一時帰国時、主にグルーヴを再構築。そこで活躍したのが、当時として画期的だった約2分半のステレオ・サンプリングが可能なFairlightだ(東京でのFairlightオペレーションは菅原弘明が担当)。
坂本は、NY録音したドラム・テイクの中から曲に合う数小節のフレーズをFairlightにサンプリング。NEC PC9801とCOME ON MUSIC Recomposerで再生タイミングをコントロールし、ループさせたり、フレーズを組みかえたりと、フィジカル/デジタルのハイブリッドでグルーヴを編み出していった(例えば「FREE TRADING」では、トニー・ウィリアムスのドラミングからシンバル・レガートのみを抜き出し使用している)。
沖縄、ガムラン、ファンクの融合
こうして完成した『NEO GEO』の各収録曲を簡単に紹介しておこう。
BEFORE LONG
あらゆる地域・民族のサウンドを融合する『NEO GEO』序曲は、フランス近代音楽テイストのピアノ小曲。エリック・サティや「戦メリ」に通じる浮遊感と緊張感を併せ持つコードの響きは、まさしく坂本の真骨頂。
NEO GEO
タイトなスネアのフィルインから、ファンクなグルーヴに誘われて沖縄メロディ、現地サンプリングのケチャ、そしてガムランのアイデアまでもが取り込まれた表題曲。坂本は当初、ワシントンDCのゴーゴーとガムランの融合を考えていたが、「OKINAWA SONG」録音時に沖縄コーラスを大いに気に入り、急遽、その場で歌えるトラディショナルな沖縄民謡を追加収録。そのため3曲ほどの歌が混在しているそうだ。なお、ケチャ部分にはスティック・ベースが使われている。
RISKY
ボーカルはイギー・ポップ。語り部分のバックはジェフ・ボヴァが5種類ほどの音色を重ね、エンジニアのジェイソン・カサロがエフェクトでステレオに広げている。
FREE TRADING
“おしゃれTV”野見祐二作曲の「アジアの恋」を坂本が“自分以上に自分っぽい曲”と評してカバー。メロディには琴のサンプルにKURZWEILやChroma、YAMAHA TX816などを重ねた音色を使用。
SHOGUNADE
インパクトのある“永禄四年九月三日!”というボイスは、NY録音時、言葉の意味とは無関係に語感のグルーヴの面白さから採用された。ダンサブルなファンク・ロックとガムランのコンビネーションが秀逸。
PARATA
金属系&木系音色の無機質なシーケンスを背景にストリングスでクラシカルな風合いに落とし込み、トニー・ウィリアムスのドラムを重ねることで『NEO GEO』印を押している。
OKINAWA SONG CHIN NUKU JUUSHII
沖縄・フォーシスターズによる「ちんぬくじゅうしい」(1968年)のカバー。大学時代から好きなメロディだったと言い、沖縄から古謝美佐子らを招いて録音。それがタイトル曲につながっていく。
AFTER ALL
「BEFORE LONG」と対を成すようなピアノ・アンビエント。DX7II-FDで即興演奏した3trをエディットし、時間軸を入れ替えたり、あるいは複数の時間軸が同時進行するような形で新しい景色を作り出している。
2024年に蘇る『NEO GEO』の真価
『NEO GEO』には、リリース時のオリジナル盤と、2009年リマスタリング盤(CD)、今回のアナログ盤と大きく3種類が存在する。2009年盤は、音圧レベルが上がり、一つ一つの音の輪郭が極めてクリアとなったが、今回のアナログ盤は、そのクリアさは保ちつつも、各音像がひとつの空間で鳴っているようなバンド感のある音作りが印象的。しかも低域から中低域が非常に充実している。アナログ盤は、針や機器の調整で好みの音に作り上げる楽しさもあるので、そういう意味で実にアナログ盤らしい豊かなリマスタリングだ。
このアナログBOXに含まれる『NEO GEO』国内ツアーと、1年後のNY公演の貴重な映像も見逃せない(最新技術でアップコンバートされた映像で、サウンド・リマスタリングは砂原良徳が担当)。
実は2つのライブの間には、映画『ラストエンペラー』のサウンドトラック制作、フル・オーケストラとの初共演『SAKAMOTO PLAYS SAKAMOTO』開催、アカデミー賞受賞、そしてNY公演リハーサル期間中に決まったヴァージン・レコードとの契約など、坂本の音楽キャリアを語るうえで重要な出来事が立て続けに起こっている。こうした時系列を踏まえて2つのライブを見ると、メンバー/ライブ構成はほぼ共通しているにも関わらず、1年を経ての違い(曲&音色アレンジやバンドのグルーヴ、沖縄コーラスの見せ方、NY公演でのパーカッショニストの追加など)に、坂本の意識や環境の変化を読み取ることができ、より一層、興味深いものとなる。
まさしく坂本が、日本から世界へ、そしてポピュラー音楽から映画音楽、さらにはアカデミックなフィールドへと活動の幅を広げていく過程の記録であり、彼が新しい地図を描くべく生み出した『NEO GEO』は、それ自体が、音楽家としてその後に歩みを進めていく自分自身のための重要な道標となっていたのだ。
土屋真信が語る坂本龍一のライブ現場
『NEO GEO』アナログBOXセットには、同作品の国内ツアーと、ソロとして初めて行ったニューヨーク公演の映像(Blu-ray)も付属されている。これらのライブの裏側や、この時期の坂本の意識をひもとくべく、初ソロ・ツアー『MEDIA BHAN LIVE』から現在公開中のコンサート映画『Opus』まで、機材スタッフとして数多くのライブ現場をサポートしてきたオフィス・インテンツィオ代表・土屋真信氏に、当時の様子を語ってもらった。
明確に海外を意識したサウンド
僕がオフィス・インテンツィオに入社したとき、ちょうどYMOが『浮気なぼくら』(1983年)を制作していました。ある日のスタジオで、細野(晴臣)さんと(高橋)幸宏さんが先に帰り、教授(坂本龍一)と2人きりになり“君は何をやりたいの?”と聞かれて、“海外に行きたい”と答えると“このバンドはもう海外には行かないけど、代わりに僕が行くから”と言われたんです。その後『MEDIA BHAN LIVE』から教授と本格的に仕事をするようになり、『NEO GEO TOUR』と『BEAUTY TOUR』で本当に海外に連れて行ってもらいました。
『音楽図鑑』と『未来派野郎』は、まだ国内に向けての意識が強かったと思いますが、『NEO GEO』は、はっきりと教授の意識が海外へ向いている。もちろん教授本人とそんな話はできませんでしたけど、ベースはロックやファンクでありつつ、日本の文化や沖縄のサウンド、古筝の姜小青(ジャン・シャオチン)などオリエンタルな要素を取り入れていったのは、そういう意識からだったと思いますし、それは次の『BEAUTY TOUR』時に、より強く感じました。なぜなら、特に当時の北米は、それこそ日本のロック・バンドが来ても“何でアメリカまで来てオレらの真似してるの?”って言われるような時代でしたから。
他方、ヨーロッパでは受け入れられた感触がありました。これは『BEAUTY TOUR』時の話ですが、教授の知名度も上がっていたし、沖縄の3人が出てくるとものすごく盛り上がって。神がかってるってこういうことを言うんだと思ったし、ユッスー・ンドゥールもいたから、特にフランスは盛り上がりました。それくらいアメリカとヨーロッパで反応が違ったんです。だからこそ、教授がその後にニューヨークに移住して、どう開拓していったのか、そばで見ていたかったですね。僕はバンド・ツアーの場面しか見ていないので。
NY公演がピアノ色の強まる起点に
あらためて『NEO GEO TOUR』のニューヨーク・ライブを見ると、かなりきっちりとしていますね。ちゃんとバンドの演奏能力が高いし、舞台セットも国内ツアー時のものをそのまま持ち込んでいて。普通、ものすごくお金がかかってしまうから丸ごと持って行ったりはしないんですが、それだけ当時のメンバーもスタッフも、絶対に成功させるんだという意気込みが強かったんでしょう。
システム的には、『MEDIA BAHN LIVE』もそうですが、『NEO GEO TOUR』も特別なことはしていなくて、基本的に全部人力。サンプラーは多用しましたが同期は使っていません。『NEO GEO TOUR』では8trテープを回したものの、オケの中で鳴らすというよりも、例えば「BEFORE LONG」で教授がピアノを弾き始める前のSEだとか、そういう使い方です。教授は生ピアノとYAMAHA DX7 II-FD、FAIRLIGHT CMI Series III。もう一人のキーボード、ジェフ・ボヴァがとても優秀だったので、教授はプレイに集中できたと思います。
それまで教授はライブも割とロック寄りでしたけど、アカデミー賞を獲って、『NEO GEO TOUR』でアメリカに行った頃からピアノ色が強くなり、その後、だんだんとアカデミックな方向性に進んでいきますよね。映画音楽をやり、最終的にインプロビゼーションの世界に行くわけですが、僕が知る限り、特別それを目指していたというよりも、その時々で興味を持ったもの、刺激を受けたものに挑戦し、その軌跡の積み重ねで、そこにたどり着いたように思います。だからプロセスがとても大事で、そういう意味でも、ワールドワイドな意識や、映画音楽、ピアノ色が強くなり始めた時期の作品として、『NEO GEO』は大きな意味を持つアルバムのように感じます。
Release
『NEO GEO』Vinyl Limited Edition
完全生産限定盤
ソニー・ミュージックレーベルズ: MHJL 314〜7
DISC 1 『NEO GEO』Vinyl 33 1/3RPM
SIDE A
❶BEFORE LONG
❷NEO GEO
❸RISKY
❹FREE TRADING
SIDE B
❶SHOGUNADE
❷PARATA
❸OKINAWA SONG CHIN NUKU JUUSHII
❹AFTER ALL
DISC 2 『RISKY』Vinyl 12" 45RPM
SIDE A
❶RISKY(EXTENDED VERSION)
SIDE B
❶NEO GEO
❷RISKY(INSTRUMENTAL)
DISC 3 『Ryuichi Sakamoto Concert NEO GEO TOUR Live at NHK Hall』Blu-ray
❶BEFORE LONG
❷NEO GEO
❸BALLET MECANIQUE
❹PAROLIBRE
❺MERRY CHRISTMAS MR.LAWRENCE
❻SHOGUNADE
❼TIBETAN DANCE
❽G.T.
❾BEHIND THE MASK
❿ONGAKU
DISC 4 『NEO GEO Live in New York』Blu-ray
❶CHINSAGU NO HANA
❷NEO GEO
❸OKINAWA SONG
❹TIBETAN DANCE
❺1900
❻THE LAST EMPEROR
❼1000 KNIVES
❽BEHIND THE MASK
『NEO GEO』完全生産限定盤
Vinyl 33 1/3 RPM<1LP、180g重量盤>
ソニー・ミュージックレーベルズ:MHJL-318
『NEO GEO』
<Blu-Spec CD 2 、 紙ジャケ仕様>
ソニー・ミュージックレーベルズ:MHCL-30849