僕にとって大事にしたいのは、なぜ自分の音楽を求めてもらえたのかということ
永野芽郁と山田裕貴の主演で大きな話題となったフジテレビ系月9ドラマ『君が心をくれたから』(2024年1~3月放映)。その音楽を手掛けたのが松谷卓だ。「TAKUMI/匠」をはじめとするABC・テレビ朝日系のテレビ番組『大改造!!劇的ビフォーアフター』の音楽や映画『いま、会いにゆきます』、アニメ『のだめカンタービレ』などのサウンドトラックで知られる作曲家/ピアニストだが、実は劇伴を手掛けるのは映画『君の膵臓をたべたい』以来、約7年ぶりとのこと。しかも連続テレビドラマを担当するのは初だったそう。繊細で流麗なメロディの中にダイナミックな生命力も感じさせる今作の創作過程についてお話を伺った。
Photo:Takashi Yashima
一つのプロジェクトが1,000小節以上に
——連続ドラマの劇伴は初だったそうですが、どのようなきっかけで手掛けることになったのですか?
松谷 今回のドラマの音楽家がまだ決まっていなかったときなんですけど、音楽コーディネーターの中島彩さんから僕の名前を出させてほしいというご連絡をいただいたんです。その際にプロット段階の資料を読ませていただいて、確かにこのお話には自分の音楽を合わせることができるんじゃないかという感覚があったんですね。それでやらせてもらえるといいなと思い、ぜひお願いしますとお答えしました。その後、正式にご依頼をいただいて、お受けさせていただいたのですが、最初はちょっと不安だったんです。
——それは、なぜでしょう?
松谷 このお話をいただくまでの約7年間、気分障害のような状態だったからです。その間は音楽を作るどころか、聴くことさえできない時期もありました。だから久しぶりすぎて、ちゃんと作れるかどうか不安だったんですよ。でも、2023年の初めくらいから、だいぶ気持ちも落ち着いてきて、そろそろ何か良い形で復帰できればと考えていたところに、今回のお話をいただきました。
——最初に着手された曲は?
松谷 台本を読ませていただき、演出家の松山博昭さんからもご説明をいただいたときには既に、自分の中にこの主役の2人の気持ちを音楽で包んであげられたらいいなというイメージがあったんです。そこで最初にメインテーマ、それから「恋の約束」のデモを作りました。その2曲を松山さんに聴いていただいたところ、どちらもすごく受けが良くて。特に「恋の約束」を気に入ってくださり、“この曲を2人のために使えるような音楽にしていきましょう”ということになりました。そしてもう1曲のほうを、“2人に限らずお話の全体を象徴するようなテーマ曲として活用していきたい”と相談させていただきました。
——そのときのデモはどんな状態だったのですか?
松谷 まずはメロディを聴いていただくことが大事かなと思ってピアノだけでした。多分、クオンタイズもかけていなかったと思います。その後は打ち込みで、メインテーマを現在の形に近いアレンジで作って松山監督に聴いていただきました。そうしたら、“松谷さんにお願いして良かった”というお言葉をいただけたんです。それは本当にありがたくて。その言葉に背中を押されて、ほかの曲も作っていけました。
——作曲時のピアノ音源には何を使われているのですか?
松谷 GARRITAN Abbey Road Studios CFXです。最初はApple Logic Pro XをMIDIレコーディングの状態で走らせたまま、とにかく弾くんです。ずっとピアノを弾き続けた中から、“これはいけそうかな”という部分をピックアップしてモチーフにしていきます。
——数小節くらいのフレーズを膨らませる?
松谷 数拍のこともあるんですよ。そういう本当にわずかな素材を集めて、ほかの楽器の音色でも鳴らしてみたりしながら、“こういうイメージになるんだったら、きっとこんなふうに展開していけるかな”という感じで、素材がだんだん曲として膨らんでいく感じです。もちろん、曲によってはピアノだけで作ってしまうこともあるんですけど。
——そこから横の展開を作っていくわけですか?
松谷 どちらかというと曲のストーリーを先に作ることのほうが多いです。最初からピアノのトラックを幾つか用意しておいて、ピックアップした素材にフレーズを加えたり、別の素材とつなげたりするのも別トラックのピアノ音色で行います。“これとこれをマージしよう”“これとこれをつないでみよう”といった作り方です。というのも、最初に弾いたメロディはいじらないようにしたいので。そのメロディは1回弾いただけですから覚えていないことがほとんどなのです。でも、どこかからやってきてくれたメロディなので、それは大事にしたいんです。だから元のメロディはそのままにしておいて、別トラックで何回も弾き直します。そうすると、“これよりこっちのほうが良いかもしれない”というメロディが見つかってくる。そしてまた、弾き直したフレーズも消さないで取っておきます。そんなことをしていると、一つのプロジェクトが1,000小節以上になったりしちゃうんですよ。
——アレンジはすべてのメロディが固まってから?
松谷 それがですね、メロディを作っている途中で何かひらめいたら、とりあえずその状態からオケを作ることもあります。だから、一つのプロジェクトに十数曲分が並んでいたりするんですよ。その中で、例えば“これはM-4としていけそうだな”というものができたら、別プロジェクトにして要らない部分を削除し、曲として成立する形に仕上げていきます。
——思いついたら、どんどん進めていくんですね。
松谷 思いつくというよりは見つかるというイメージですかね。一つのプロジェクトの中で作っていけば、個別に音源を立ち上げる必要がないですから、空いているトラックで弾いてみて、いいなと思う部分が見つかったら、リージョンの色を変えておくんです。
——メインテーマや「恋の約束」のメロディを使用した変奏曲的な楽曲が幾つかありますが、それらも、1,000小節以上もあるプロジェクトから生まれているのでしょうか?
松谷 そうですね。僕の曲の作り方は、“こういうテーマだったら、こういうメロディが合うはず”と考えて作っていくよりも、とにかく弾いてみて出てきたモチーフの中から、テーマにはまるものを見つけていく。それが自分には一番自然だと思っています。“こういうテーマだから、こうやって考えて作りました”という意図的に作ったメロディは、説得はしやすいのかもしれませんが、もっと自然体でありたいなと。
——作為的な部分をできるだけ排除したい?
松谷 戦略を立てて作ったほうが良い場合もあると思いますし、それは人それぞれだと思うのですが、僕にとって大事にしたいのは、なぜ自分の音楽を求めてもらえたのかということなんです。それはこれまでの自分の作品を聴いて、“この人に音楽を作ってもらえたら”と思ってもらえた部分があるからだと信じたいんですね。であれば、自分の中から自然に出てくる音楽というものを提示したいし、まずはその音を聴いてもらいたいんです。
7年の間に獲得できたすごく大事な感覚
——メインテーマはメロディを演奏する楽器がピアノ、フルート、イングリッシュホルン、アコースティックギターと変わっていきますね。
松谷 そうですね。特にアコギのパートはガラっと印象を変えたいなと思って。ただ、楽器に関しては最初にピアノから生まれた曲なので、やはりピアノを大事にした部分はあります。また、曲によっては“これは弦だけでも聴かせられるようなアレンジに”ということも考えながら作りました。2ミックスにはピアノも乗っているので、その印象が強いとは思いますけど。松山監督には、ピアノなしで使ってくださっても大丈夫ですということもお伝えしたんですけど、本当に音楽を大事に使ってくださっていて、できる限り2ミックスで使ってくださっていましたね。
——ステムで納品されて、使い方はお任せする?
松谷 そうです。だからステムもたくさん作りましたし、実はアルバムにも2ミックスとして仕上げたバージョンではないものを、あえて入れたりもしています。「想う気持ち」という曲がそうなんですけど、もともとは弦の広がりを生かしたアレンジだったのですが、クラリネットのフレーズをすごく素敵に演奏していただいたので、それを最も味わえるミックスを収録しました。
——本番のレコーディングでのピアノは何を?
松谷 サウンド・シティ世田谷STUDIOにあるBösendorfer Concert Grand 290 Imperialです。昔からあのスタジオとImperialがすごく好きで、以前もよく使わせてもらったことがあって、一番しっくりくるなと思っていたんです。それで、あのピアノにまた会いたいと思って、弾かせていただいたら、ちょっと意味深すぎるかもしれませんが、あのピアノも待っていてくれたような気がしました。
——驚くほど柔らかい音ですね。
松谷 今回、レコーディングとミックスをお願いしたエンジニアの鈴木浩二さんは、クラシック関連をよく録られているそうなのですが、その録り音には驚きました。ちょっと魔法みたいでした。そこが気持ちいいってところをしっかり拾ってくださるんです。
——レコーディングの順番は?
松谷 初日に6/4/2/2/1の弦と木管を同時に録って、その後にカルテットなどの小編成の弦を録り、2日目にギターや「祈(いのり)」という曲のコーラス、そして最後にピアノを弾きました。すべてサウンド・シティ世田谷STUDIOです。今回1stバイオリンでトップを務めていただいた小寺里奈さんは、僕のコンサートでもずっと演奏してくださっていて、バイオリン弾きの中でも一番、僕の曲を知ってくださっているのではという方なのでとても助かりました。“こういうストーリーなので、こういう音楽にしたい”とお話したら、もうウルウルしちゃってくれて。そういうふうに感じ取ってもらえるかどうかって、やはり大きいですよね。トップの彼女に伝われば、弦の皆さん全員にも伝わりますし、曲によっては僕が指揮を振らせてもらったんですけど、ニュアンスを体全体で表現すると、どんどん響きが美しくなっていったので、僕も感動してしまいました。
——メインテーマのピアノアレンジとも言える「あなたと出会えて」では、松谷さんのピアノを堪能できますね。
松谷 この曲のアルペジオはAbbey Road Studios CFXです。メロディやコードは290 Imperialですけど、その生のピアノも多重録音しています。ほかにSYNTHOGY Ivory IIも使用しました。
——音源の音も生かしているんですね。
松谷 ほかにも「今日の輝き」で使用しているバンドネオンはbest service ACCORDIONSだったりします。オケ系は生楽器だけでなくPROJECTSAMの音源なども使用しましたし、エレピはLogic Pro Xの付属音源だったと思います。
——「あの世からの案内人」は不穏さとユーモラスさを併せ持った印象的な楽曲ですね。
松谷 そう言ってもらえてありがたいです。“あの世からの案内人”という存在は、お話の中で結構シリアスだと思うんですけど、松山監督からは“笑ゥせぇるすまん”というキーワードが出てきたんです。でも、あそこまでコミカルにしてしまうとキャラとして違うんじゃないかなと思って、その辺りのさじ加減がすごく難しかったです。サントラの難しさって一番はそういうところだと思うんですよね。主観でどう感じるのかは人によって違いますから。
——7年ぶりに劇伴を制作されてみて、ご自身の中で制作手法などに変化はありましたか?
松谷 実は、この7年の間に獲得できたすごく大事な感覚があって、それによって音楽の聴き方やピアノを演奏するときに大事にすることが大きく変わったんです。僕は5歳からピアノのほかに日本舞踊も習ってきたのですが、東京に出てきてからしばらくはやってなかったんですね。でも、地元でお世話になったお師匠さんから、やっぱり名取になってほしかったと言われて、それで今のお師匠さんについて名取になったんです。そのために改めていろんなお稽古をさせてもらったのですが、表現のために身体と向き合ったときに、頭で理解していることと肉体が知っていることって違うんだなと感じられたことがあったんですね。それは心や内臓、指先が知っていると言ってもいいのかも知れないけれど、演奏と自分自身の関係への発見にもつながったんです。この感触はうまく説明できないけど、明らかに音楽との向き合い方や受け取り方そのものまで変わったように感じています。
——ご自身にとって大きな変化のあった作品なのですね。
松谷 聴いてくださる方にとってはそんなに違いは感じられないかもしれませんが、自分の中では大きな変化です。自分が鳴らそうと思うピアノの音が何を教えてくれるのかや、アンサンブルの響きが教えてくれること、リバーブの質感からミックスバランスまで、音楽や録音で表せるものって目に見えないので、少し迷うだけでもどこへ向かったらいいのか分からなくなりやすい。ですが、実はその答えというのはあらかじめ存在しているような感覚が出てきたというか。それを感じ取ったり自分に問いかけたりしながら答えと出会っていくというか。そんなエネルギーがリアルタイムにどんどん変化していくのがやっぱり曲作りの面白い部分だと思うんです。お話やストーリーも、作家さんが込めた気持ちは恐らく映像になる前から既にあって、それを読み解くだけでなく、心や細胞が感じ取れるポイントがはまれば、きっと自然と共鳴できるのではないかなと。まあ、感覚優位になったんだと思います。この身体はそんなことも教えてくれるんだと、お稽古や舞台の経験から感じさせてもらえるようになったのは大きな変化でした。
engineer's comment|鈴木浩二
ピアノはクリアかつふくよかな音に。ストリングスには2種類のマイクをセット
今作は基本的にアコースティックサウンドなので、ピアノはオンマイクの音だけではなく、クリアかつふくよかで低音の豊かな音を収録しようと考えました。そこで最も近い位置ではNEUMANN U 67でピアノの弦と響板を狙い、少し離れた位置にはピアノ全体のボディの鳴りを録るためにM 149 Tubeを、そこからさらに離れた場所には全体の響きを繊細かつナチュラルに録れる無指向のB&K 4006を、いずれもステレオペアで立てました。ミックスでは、楽曲によって3点のマイクの音量バランスを変え、ストリングスや木管とのマッチングを取ったり、ピアノソロとしての表情を出しています。松谷さんがBösendorferで紡ぐ繊細なサウンドは、この楽器をよく理解されている方ならではだと思います。
ストリングスは各セクションにU 67を1本ずつ立てたほか、1st/2ndバイオリンにはSCHOEPS CMC-55U、ビオラとチェロにはCMT-56Uもセクション用として1本ずつ使用しました。オフマイクとして4006も2本立てています。U 67は太さやパンチ、SCHOEPSは奇麗で繊細な音が特徴なので、曲によってミックスバランスを変えています。
本プロジェクトでは、松谷さんの楽曲やレコーディングに臨む思いに、すごく“来た!”と感じさせるものがあり、演奏者にもそれが伝わって一体感が生まれました。今作のナチュラルなサウンドは狙って作り上げたというよりも、そうした松谷さんのエネルギーやパワーの中から生まれたきたものだと思います。
Release
『「君が心をくれたから」オリジナル・サウンドトラック』
松谷卓
(EPICレコードジャパン)
Musician:松谷卓(p、k、prog)、小寺里奈/高宮城凌/山本理紗/納富彩歌/東山加奈子/西川豪(1st vln)、矢野小百合/柳原有弥/村井俊朗/福留史紘(2nd vln)、菊池幹代/島岡智子(vla)、堀沢真巳/水野由紀(vc)、一本茂樹(contrabass、b)、坂本圭(fl)、金子亜未(oboe & english horn)、濱崎由紀(clarinet)、和田智子(cho/soprano)、小牧風香(cho/mezzosoprano)、小林音葉(cho/alto)、下西祐斗(cho/baritone)、越田太郎丸(g)
Producer:松谷卓
Engineer:鈴木浩二
Studio:サウンド・シティ世田谷STUDIO