15年間で感じた音楽シーンと社会情勢の変化
2009年の8月に、何の計画もないまま“1年住んでみよう”とベルリンに越してきてから、もうすぐ15年が経つ。そして、これがこのコラムの最終回となった。ベルリンに移る前の東京時代、『サンレコ』には主にインタビューの通訳要員としてよく関わっていた。ベルリンで仕事のあてのなかった私に、当時お世話になっていた編集者の白石裕一朗さんが作ってくれたのがこの連載枠だった。
当初はフリーランスのライターとして、執筆や編集を主にやっていたが、だんだんとアーティストのマネージメントやブッキング、イベントの制作などの仕事が増えていった。その間、実にさまざまな仕事をやってきたが、思えばこのコラムだけがずっと一貫して続いてきた。それが、自分にとっても大きな転換期となった2024年に遂に終わるというのは、感慨深く、なにか運命的なものすら感じる。
この15年の間に、世界的な音楽産業のあり方、人々の音楽との接し方が激変し、ベルリンの音楽シーンを取り巻く環境も大きく変わった。私が引かれたベルリンの魅力は、当時破竹の勢いだったクラブ・カルチャーのみならず、“安さと自由さと多様性”だった。家賃や生活費が驚くほど安かったからこそ自由もあったのだと、その両方が失われつつあると今は感じる。それが人々に受けるか、収益になるか、といったことを考えなくていい余裕があったからこそ、奇抜なアイディアや実験性の高い試みがたくさんあった。主流から逸脱したものが歓迎された。世界中からぶっ飛んだ人ばかりが集結しているようだった。実に多様なバックグラウンドや思想やジェンダーの人たちがフラットに集うクラブという場所を通じて、本当に多くを学ばせてもらい、クリティカルかつラディカルな人間になったと思う。
徐々に音楽シーンが産業化していき、家賃や物価も高騰していった。それに伴って私の仕事の範囲も広がってさまざまな機会を得られた一方で、自由さと無邪気さ、そして寛容さが徐々に失われてきたように思う。今やパレスチナ/イスラエル問題を巡って深い亀裂が入り、極右政党が台頭し、警察による弾圧と暴力が日常化する街になってしまった。15年前には、この街でファシズムがこんなに身近に再び迫ってくることになろうとは、全く想像していなかった。
しかし、時計の針を戻すことはできない。こんな時代にこそ、音楽の力が必要だ。ベルリンがまた自由を象徴するレジスタンスの音楽の発信地となることを願って、そこに何か貢献できるように、まだもう少しここに居てみようと思う。長い間ありがとうございました。
浅沼優子/Yuko Asanuma
【Profile】2009年よりベルリンを拠点に活動中の音楽ライター/翻訳家。近年はアーティストのブッキングやマネージメント、イベント企画なども行っている