東京都調布市に位置する日本屈指の映画スタジオ、角川大映スタジオが9月にダビングステージを13年ぶりに大規模リニューアル。従来の7.1chからDolby Atmos Cinemaに対応した。ここではリニューアルの背景から内装、音響設備などについて、同スタジオの竹田直樹氏と山口慎太郎氏に詳しい話を伺った。
Dolby Atmos Cinemaに対応し、和を取り入れたデザインを採用
まず今回のリニューアルに至った経緯や背景について、竹田氏はこう話す。
「2011年に現在のダビングステージを新設したのですがそれから13年が経過していて、Macなどの設備は随時更新していたものの、そろそろ機材の更新が必要なタイミングだと考えていたんです。そこで、ただ機材を更新するだけでなく何か新しいことに挑戦できないかと考え、Dolby Atmos Cinema対応のダビングステージにリニューアルすることに決めました」
Dolby Atmos Cinema対応にした理由についても説明してくれた。
「自分たちはNetflixさんの作品でDolby Atmos Homeに携わってきたこともあり、その経験から新しい技術に取り組んでいくことで、Dolby Atmos作品だけでなく、従来の作品に対するアプローチの仕方も変わることを実感しました。当初は5.1chや7.1chでもいいのではないかと検討していましたが、現場からはイマーシブオーディオへのニーズがあり、今後はその需要が増えてくるだろうという予測もあってDolby Atmos Cinema対応に踏み切ることにしたんです」
リニューアル中に直面した課題として、山口氏はこう続ける。
「Dolby Atmos Homeに比べてDolby Atmos Cinemaの場合、リスニングエリアに対するスピーカーの角度など、非常に細かい指定があります。工事中はスタジオ内に3階建ての足場があったため、正確なスウィートスポットを目指したスピーカーの角度設定が難しく苦労しましたね。解決作として、養生したスクリーン面に新たな基準点を設け、そこにレーザー水準器を設置して、それを元にスピーカーの角度を設定するというアプローチで解決しました」
実際にリニューアルされたダビングステージを見ると、内装には和のテイストが取り入れられていることに気づく。竹田氏は、和風にすることでこのスタジオにしかない独特の雰囲気を作り出したかったという。
「そもそもダビングステージは、映像をスクリーンに投影して作業するので単調な内装かつ薄暗い空間になりがちです。そのため、デザインの方向性としては少し明るく開放的な雰囲気にしたいという意見がありました。また、和のテイストを取り入れたのは、Webページ上でこのスタジオの写真を見たときに“日本のスタジオだ”とすぐに認識してもらいたいという思いがあったんです。そのアイディアとして、日本の伝統的な組子を壁に組み込むことにしたんですよ。結果として居心地が良く、リラックスできる環境になったという声も多いです」
従来よりも高い解像度と分離感を実現
ここからは、このダビングステージのサウンド面や音響設備について山口氏に伺った。
「リニューアル前までの課題としては、過去13年間ダビングステージを運用してきた中で、フロントチャンネルでは低域が少し膨らんでいる、アンビエンスの判断がもう少し明確にできたらいい、といったものがありました。そのため今回のリニューアルではDolby Atmos Cinemaに対応した上で、音の分離感や解像度をもっと高めたいというコンセプトがあったんです。その観点から機材を選んだり、システムを構築したりしています」
このダビングステージは最大64chのスピーカーに対応したシステムを備え、「従来よりも高い解像度と分離感のある音響体験を実現できた」と語る山口氏。
「特徴としては、システムをシンプルにしてシグナルパスを短くすることで、音の劣化を最小限に抑えているんです。メインのAvid Pro Tools|MTRX IIには6台のコンピューターがDigiLinkでつながっており、それぞれHDXカードを使用したAvid Pro Toolsで音源の再生/編集やダビングを行っています。ほかにもRMU PCのATMOS Rendererで処理を行っており、Thunderbolt 3でPro Tools|MTRX IIと接続していますね。Pro Tools|MTRX IIからはDanteで出力し、プロセッサーのBSS BLU-806 Signal Processor、DAコンバーターのRME M-32 DA Pro 2を経由して各スピーカーシステムへシグナルを送っているんです。マスタークロックには、Brainstorm Electronics DXD-16 Grandmaster Clockを導入しました」
スピーカーシステムについても詳しく見てみよう。モニタースピーカーは、JBL PROFESSIONAL 5742をフロントL/C/Rとリアに3本、LFEにはサブウーファーのJBL PROFESSIONAL 4642Aを2本使用。サイドスピーカーにはJBL PROFESSIONAL 9310を20本、ハイトスピーカーには9310を8本+JBL PROFESSIONAL AW5212/00を6本、さらに天井にはサブウーファーのJBL PROFESSIONAL 4645Cを4本配置。パワーアンプは、CROWN I-Tech5000HDをL/C/R/LFEに、Crown 8|600DAをそれ以外のスピーカーに使用している。山口氏はこれらのシステムを導入したことで、音の判断がしやすくなったという。
「以前よりも全体の音像がクリアになり、音の立ち上がりや輪郭も分かりやすくなりました。現場からは“音質がとても良くなった”という評価を多くいただいています。実際に改修前後で計測したRT60(Reverberation Time 60)を比較すると、低域から高域まで残響時間がコントロールされフラットに近いバランスになっていることが分かりました」
改修前の課題の一つであった“低域の膨らみ感”についてはこう語る。
「今回、天井/壁/床を全て再構築し、低域の吸音を重視した設計に変更したことがとても効果的だったと思います。壁は全てスケルトンにして、中に日本音響エンジニアリングの音響拡散体AGSを埋め込みました。完全にデッドな空間にするのではなく、ある程度音がはっきりと聴き取れつつも、多少の響きが残るようにしたかったんです。最終的には、イマーシブ制作に最適な音響環境が整えられたと考えています」
天井に配置された4本のサブウーファー4645Cについても聞いてみたところ、山口氏からはこのような答えが返ってきた。
「当初は2本で十分だと考えていましたが、スタジオ内のどの場所でもしっかりと低音が聴こえ、なおかつ定位感もはっきりするように4本に増やしたんです。1本につき約57kgの重さがあったので設置には苦労しましたが、結果として良い音響環境になったと思いますね」
Avid S6は自由にカスタマイズできる点が魅力の一つ
同ダビングステージでひときわ目立っていたのが、72本のフェーダーを備えるコントロールサーフェスAVID S6だ。山口氏は、S6の導入理由についてこう語る。
「価格、性能、使いやすさを考慮した結果、S6しかないと思いました。さらに、サポート体制がしっかりしている点も大きな決め手です。最近はPro Tools内で完結するミックス作業が多いため、Pro Toolsとの完全な親和性を持つAvid S6は、作業効率と利便性が非常に高いと感じます。またシンプルなシグナルフローにしたかったので、AD/DA変換の回数を減らしたかったという理由もあります。独立したコンソールを使用するとAD/DA変換が増えてしまいますが、S6を導入すれば、最終的なDAまでデジタルで完結できるので、その点も導入理由の一つです」
S6はフェーダーやディスプレイ、ノブ部分などがモジュール化されており、自由にカスタマイズできる点も便利だという山口氏。
「このダビングステージでは、Master Touch Moduleというマスターセクションとつかさどるモジュールを2台設置しています。映画のミックスでは、セリフや音楽を担当する人と、音響効果を担当する人の2人が同時にミックスを行うことが多いので、デュアルヘッドの設計は非常に便利なんです。あと72フェーダー仕様にするためには、Master Touch Moduleが2台ないといけないという理由もありました」
加えて、ポストプロダクションの作業を効率化するために設計されたPost Moduleも導入していると話す。
「このモジュールを使用することで、録音済みのトラックやステムとPEC/Directパドルを介した入力を比較し、レコーディングにパンチ・インする前にサウンドの同一性をシームレスに確認することができるんです。リニューアル前まで使用していたコンソールと操作感が似ているため、スムーズに移行できました。あとDisplay Moduleはとにかく見やすいのでいいです。通常は卓の奥にディスプレイを配置しますが、ここでは手前に配置し、オペレーターの目の前に置くことで視認性をより高めています。モジュールの自由な組み替えが可能な点も、S6の大きなメリットだと思いますね」
常に新しいことに挑戦する姿勢
最後に山口氏は「S6を含め、新しくなったダビングステージでDolby Atmos作品をどんどん制作していきたいと思っています」と語ってくれた。竹田氏はこう続ける。
「現状、国内のDolby Atmos制作本数は5.1ch作品に比べると多くはありませんが、これから業界全体としてDolby Atmos作品がさらに盛り上がっていければと思います。また、弊社としては常に新しいことに挑戦していきたいと考えているため、Dolby Atmosをはじめ良い技術があれば今後も積極的に取り入れていきたいです」