4月26日、レコーディング・エンジニアのアル・シュミット氏が91歳でその生涯を閉じた。
1930年、ニューヨークはブロンクスに生まれたシュミット氏は、幼少期から伯父ハリー・スミスが経営するレコーディング・スタジオに出入り。1950年、19歳でエイペックス・レコーディング・スタジオに職を得、トム・ダウドに師事。職について間もないころ、偶然にもデューク・エリントン・オーケストラの作品に携わったことが、メイン・エンジニア・デビューとなる。
その後、ニューヨークの幾つかのスタジオで働いた後、1963年にはロサンゼルスに移り、RCAでヘンリー・マンシーニ「ムーン・リヴァー」などの録音を手掛けた後、1966年に独立。キャピトル・スタジオを拠点とし、ジェファーソン・エアプレイン、フランク・シナトラ、ナタリー・コール、TOTO、ダイアナ・クラール、ボブ・ディラン、スティーリー・ダン、ジョージ・ベンソン、そしてポール・マッカートニーなど、数々の名作で手腕を奮った。
Al Schmitt, a member of our family passed away yesterday evening.
— Capitol Studios (@capitolstudios) April 27, 2021
A legend. An icon. A friend.
Al was not only the most celebrated and decorated engineer, but also the most beloved.
We’re thinking about you Al… always.
With Love,
Your Capitol Studios Family pic.twitter.com/MDSFCcQded
また、近年は自身のテクニックを公開する著書を記したり、TOONTRACKやLEAPWING AUDIOとソフトウェアを共同開発したりといった活動も精力的に行っていた。
サンレコ・バックナンバーで読めるアル・シュミット
そんな輝かしい経歴を持つシュミット氏、『サウンド&レコーディング・マガジン』の創刊時(1981年)には、既にキャリア30年超のベテランであり、本誌インタビューにもたびたび応じてくれていた。サンレコ・バックナンバーから幾つか抜粋したので、Web会員の方はお読みいただき、氏の録音哲学に触れていただけたら幸いだ。
以下、各号へのリンクは、バックナンバー・サイトでWeb会員ログインしていただくことで有効となります。
1982年5月号 来日時インタビュー
月刊化第1号に登場。デラ・セダカの来日に帯同したところをキャッチしたもので、マイキングの重要性を語っている。記事はこちらから。
1983年8月号 カリズマ『DREAM COME TRUE』
デヴィッド・ガーフィールド率いるフュージョン・グループ、カリズマの1stアルバム『Dream Come True』のレコーディングについてコメント。記事はこちらから。
1991年4月号 インタビュー
自らのキャリアや音楽的バックグラウンドを語るインタビュー。記事はこちらから。
1993年12月号「Mr. Bonzai's Talking」アル・シュミット〜心に残るエンジニア
フランク・シナトラ『デュエッツ』セッションでのエピソードを語る。記事はこちらから。
1999年5月号 レコーディング・セミナー・レポート
日本音楽スタジオ協会(JAPRS)の招聘によって開催された、日本でのレコーディング・セミナーのレポート。記事はこちらから。
2005年12月号「Classic Tracks」ナタリー・コール&ナット・キング・コール「アンフォゲッタブル」
父ナット・キング・コールとの時空を超えたデュエット作品を実現した手腕を紐解く。記事はこちらから。
2006年5月号 特集「海外トップ・エンジニアが語る音楽制作の過去、未来、現在」
ボブ・クリアマウンテン、ヒュー・パジャム、エリオット・シャイナーらと並んでインタビュー特集に登場。テクノロジーの進化を歓迎しつつ、可能性の拡大による作業時間の増加も指摘していた。記事はこちらから。
2015年8月号 プロダクション・レポート〜ボブ・ディラン
アナログ一発録りで臨んだボブ・ディランのカバー集について語る。記事はこちらから。
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