『サウンド&レコーディング・マガジン』のバックナンバーから厳選したインタビューをお届け! 2017年6月号特集「Get Wildの記憶と記録」から、小室哲哉のインタビューを公開します。TM NETWORK「Get Wild」の30周年記念盤『GET WILD SONG MAFIA』の発売を機に、この曲を作曲者の小室自身に振り返ってもらいました。
その人の感受性によっての育ち方をして
幾らいじっても壊れない曲になった
ー「Get Wild」の30周年記念盤『GET WILD SONG MAFIA』の発売で、あらためて注目が集まっていますね。
小室 そうですね。これは僕ら発信というより、企画を立てたエイベックスのチームが、振り切って作ったのが良かったんじゃないでしょうか。
ー30年以上前のことをお聞きしますが、当時、どんな状況で作っていたのでしょう?
小室 僕もこれまで答えてきたことの記憶をつないで話すので、あいまいなこともあるかもしれませんが、確かツアーか何かで地方に行っていて、その戻り日にスタジオに入ってデモを作ったんだと記憶しています。
ー当時は、YAMAHA R&D TOKYOで作業することが多かったと聞いています。
小室 そうでしたね。ただ、そのころから本格的な作業をしたくて、R&Dは卒業してエピキュラスにも行っていたと思うんですよ。そのどちらかですね。
ーそういったレコーディング前のデモ作りは一人で行っていたのですか?
小室 だいたい木根君とマネージャーがいて、スタジオのエンジニアが手伝ってくれました。そのときにできたバージョンが、「Get Wild Ver.0」としてリリースされたものなのかなと。ただ、そのあとレコーディング・スタジオで作り直しているので、確実とは言えませんが。
ーサビでスネアがまだ入っているバージョンですよね。
小室 そうですね。リズム作りはその後にレコーディングが決まってからです。あと、この曲は『シティーハンター』のエンディング・テーマになることが決まっていたので、サンライズさんからいろんなオーダーも受けていたんですよ。それを踏まえてデモ作りをしていたんです。例えばイントロが静かめに始まるのも、『シティーハンター』の最後の場面とオーバーラップするようにしたいという要望があったので、ああいったシンプルなイントロにしたと記憶していますね。
ーメロディはどのように作られたのでしょう?
小室 それが「Get Wild」に関してはどうやってメロディを思いついたのか、本当に分からないんですよ。たぶん、その場で作り上げていったんだと思います。当時の曲……例えば「My Revolution」はインスパイアを受けた曲があったなとか、大体記憶のどこかにあるんですよ。TMでも同じで。ベース・ラインもどのように作ったのかあいまいな記憶しかないですし、ちょっと特殊な曲なんです。あと転調が多いのは、もしかしてバート・バカラックを聴いていた影響は少しあるかもしれないですね。彼の転調する曲は僕の中で印象的だったので。でも、「Get Wild Ver.0」から分析すると、メロディからA/B/サビという構成が、完成形とほぼ変わっていないので、ダメじゃなかったんだろうなって(笑)。タイアップ曲としては非常に珍しく、普通はいろんなオーダーがあるのでどんどん変わっていくんですよ。
ーそうなのですね。そしてレコーディングは、伊東俊郎さんのエンジニアリングで行われました。
小室 伊東さんには本当にいろんなことを教わりましたよ。あとマニピュレーターもいて、迫田(到)君と石川(鉄男)君という、スマイルカンパニーの人たちでした。コンピューターはまだNEC PC-98で、COME ON MUSICレコンポーザが出たくらいでしたから安定性もまだまだで、ROLAND MC-4に数値で打ち込んでいましたからね。ところでギタリストはどなたが弾いていたか分かりましたか?(編注:前号のインタビュー時に、小室がギタリストが誰かはっきり覚えていないという発言をしていた)
ーはい、窪田晴男さんでしたね。
小室 そうでしたか、「Self Control」から引き続きだったんですね。U2のジ・エッジではないですが、トリッキーなことが好きな人だったので、レコーディングの仕方が面白かったですよ。指の運びのスピード感は鳥山(雄司)君っぽいなとも思ったんですけどね。当時のギタリストは、健ちゃん(北島健二)とかも含め、僕の好きな志向と似ている人が多かったんです。みんなジャズも通っていたので、フレーズにジャズ・テイストが出たりして。でも松っちゃん(松本孝弘)がライブでギターをどんどん弾いて発信していくうちに、そっちが主になって行ったと思いますよ。多重録音しているものを1本でどうこなすか、ということを見せてくれたのは彼だと思うので。実際にライブ音源の方が多いですしね。彼はROCKMANのギター・プリアンプを使っていたかな。その音は、『ミュージックステーション』のオープニングで聴ける音と一緒ですからね。同じ時代に作っているので。
ードラムは山木秀夫さんでした。
小室 山木さんにもいろいろアイディアをもらいましたね。「Get Wild」のドラムは打ち込みではないですから。スネアを入れなかったのはよく質問を受けますが、当時のディスコ・ミュージックにはスネアが入っていなかったのではというイメージもあったのかもしれません。ユーロビートのベースは1、3拍目には入っていないのかな、という想像もしていたし。結局キックとベースの音域が同じだったから聴こえなかっただけでしたが、それくらい情報が少なかったんだと思います。
ーTMの楽曲はコーラスが多いことで知られていますが、「Get Wild」はサビのハモりだけですよね?
小室 そうですね。“所詮”という言葉をあえて使わせてもらうと、所詮テレビから出る音だから、という気持ちがあったんですよ。CDやレコードよりも、テレビで聴く人が絶対に多いという認識があったので、もしかしてモノラルかもと。だからいろんな音を入れるのは難しく、音もばらけていない方が良かったんです。
ーテレビで流れるのが前提でしたからね。
小室 大前提でしたね。盤で新曲を出すと言うより、そっちの意識が強かったのかもしれません。オーダーを受けて音楽を作るのは、作家としてやってはいたので順応もし始めていたんですけど、TMはそうじゃなくて、好きなことをやれるバンドと思っていましたから。初めてくらいの大きなタイアップだったと思います。
ーその結果、影響力はすごく大きかったですよね。
小室 圧倒的でしたね。TM NETWORK、『シティーハンター』、「Get Wild」の3つがあったから認知度はダントツでした。その経験があったので、その後の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のときは、どう応えようか相当悩みましたね。苦労しているのはその「BEYOND THE TIME」の方なんですよ。
「GET WILD '89」のアレンジは
従来の僕たちのやり方では作れなかった
ーライブでの「Get Wild」は、宇都宮さんのサビの部分や、イントロのフレーズをサンプリングしていましたが、あの手法はどのように生まれたのでしょうか?
小室 1980年代半ばから、FAIRLIGHTの存在を教授(坂本龍一)やトレヴァー・ホーンが使っているということから知るんです。そこでサンプリングの衝撃を受けるんですね。極めつけはナイル・ロジャースがプロデュースしたデュラン・デュランの「ザ・リフレックス」が全米1位を獲ったこと。曲の構成までFAIRLIGHTに入れて、完全に改変してしまうことは衝撃的でした。それで、僕もいろんな曲でやっていたんだと思います。自分でも、これはすごいと思うことはなかなかないんですけど、「Get Wild」のあの“D-E”のコード部分をサンプリングしたことは、良い発想だったなと思いますね。全部ミックスし終わった2ミックスから直でサンプリングしたんですけど、低域から高域まですべての音域で鳴っているので、ライブで鳴らしても、鍵盤、ギター、ドラムのどれよりも音圧があったんです。
ーそして「Get Wild」は1989年リリースの「GET WILD '89」へ進化します。
小室 まさにPWLぽいっというか、彼らがカイリー・ミノーグやデッド・オア・アライブでやっていた手法と全く一緒だったので、逆にそれをやってくれたことがすごくうれしかったですね。
ーその後のライブでは、「GET WILD '89」のアレンジをベースにすることが多くなっていましたが、小室さんの中でもあのアレンジがしっくりきたのでしょうか?
小室 あのアレンジでライブをすることがすごく楽しみだったと思うんですよ。「GET WILD '89」のアレンジは、のちにロンドンへ行って、PWLの作り方を見せてもらったときに知らなかった手法が多々ありました。従来の僕たちのやり方ではあのグルーブは作れないよなと、まざまざと見せつけられたんですよ。例えば、トラックのBPMのズレを小数点以下まで計れる機器で見せてくれたんですけど、そのズレがあるとあのノリが出ない。どんなシンプルな機器でもいいので、1台のクロック・マシンを基準にして、そこから全部出すことでピッタリ合わせることが大事だったんです。彼らの場合は、LINN Linn 9000が母体になっていて、そこにすべてを突っ込んでいたんですよね。あとはPUBLISONのピッチ・シフターを使っていた。歌がうまいか下手かは関係なく、すべて“あの声”になるんですよ(笑)。それを2トラックに録ってフェイズさせるとか、全部彼らのノウハウとしてあったんです。そういう意味でオリジナルと「GET WILD '89」では、別の曲と言っていいくらい、技術的なことも全く違う発想で作られていますね。オリジナルはあらゆる人のグルーブをどうまとめるかという発想でしたから。
30年たっても基本に忠実に歌える
それができる宇都宮君はすごいです
ーTM30周年に向けたコンサートでは、「Get Wild」のイントロが特に長くなってきましたね。
小室 2013年に宇都宮君が体調を崩したので、休ませてあげようというのが、イントロが長くなった要因の1つでもありましたね。とはいえ、その前からどの曲もブレスは大変だし、ダンスをしたり、やってもらうことが多かったので、僕らには分からない苦労があったと思うんですよ。ステージ上は今よりも劣悪な環境だったのに、今と変わらないことをやってもらっていたわけですからね。“すごいことをやっていたんだね”と言ったら、“今さらほめてくれなくてもいいよ”って言われましたけど(笑)。
ーそれでもブレない宇都宮さんの声のすごさというのを、今回のCDを聴いても実感しました。
小室 シンガーにもいろんなタイプの人がいますよね。歌うごとにフェイクを入れて、そのときそのときで変わるとか。でも30年もたつと、基本に忠実に歌ってくれるという方の価値が大きくなっているかもしれません。宇都宮君はそれができる人なのがすごいですよね。しかもこの曲を歌うのは1曲目ではないですからね、何曲も歌ったあとの「Get Wild」ですから。本当に生まれ持ったものだと思います。
ーアルバムには「GET WILD 2017 TK REMIX」として最新の小室さんリミックスが収録されています。
小室 最新版というより、基本はこうなっていますよということを示したかったんです。リフだったり、メロディはこうなっていて、来るべきところにこう来るという。特に2コーラス目ですかね。その中で音圧はしっかり出したかったです。音はソフト・シンセで全部作って、SSL SL4000G+でミックスしました。でも不思議ですけどね、1987年のころは伊東さんが座っていた“聖域”だったところに僕が座ってミックスしているわけですから(笑)。
ー今回の「Get Wild」30周年について、あらためて思うことはありますか?
小室 TM NETWORKで言うと、人気があるのは『CAROL』だったり、セールス枚数なら「Love Train」が多かったりして、「Get Wild」だけではないんですよね。いろんな思い入れを持ってくれている人の中での1曲だと思っています。『CAROL』はいろんな意味で革新的なアルバムでしたが、「Get Wild」がそこへ行くための推進力になったのは確かですしね。それ以降は、その人の感受性によっての育ち方をしたのかなと。こうなるとは想像していなかったですけど、思惑やテーマに耐えてくれて、幾らいじっても壊れない曲になったということでしょうね。
ー最後にお聞きしたいのですが、「Get Wild」のタイトルはどのように決まったのですか?
小室 もちろん小室みつ子さんの歌詞からなんですけど、僕の記憶では最初のサビの歌詞は“Tough & Wild”だったんですよ。でも音楽的に“Wild”の方がフックになるということで、“Wild & Tough”になり、さらに“Get”を入れて、母音をしっかり聴かせた方がいいということで、“Get Wild & Tough”になった。僕のプランではありましたが、スタッフ含め同じ立場で意見を言って決めたので、そのタイトルに自信があったんだと思いますよ。
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この小室哲哉インタビューを含む特集「Get Wildの記憶と記録」は2017年6月号に掲載。宇都宮隆、木根尚登、関係者のインタビュー、さまざまなライブでの小室の機材セット、クリエイターからのGet Wildへの熱いコメントなども紹介しています。
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