葛西敏彦のプライベート・スタジオ|Private Studio 2023

葛西敏彦のプライベート・スタジオ|Private Studio 2023

スタジオでのレコーディング/ミックスのみならず、ライブPAやサウンド・インスタレーション、舞台音楽なども手掛け、幅広い活躍を見せるエンジニアの葛西敏彦氏。フリーランスのエンジニアとしての活動を始めるにあたり構えたという、新たな作業拠点を訪ねて話を聞いた。

ステレオと立体音響をシームレスに往来

 葛西氏が作業スペースに選んだのは、窓から見える空が広く感じられるような、展望の良いマンションの一室だ。

 「風通しが良くて日の光もよく入るので、この部屋に来たときにとても気持ち良く感じたんです。ここは“スタジオ”ではなく、日常の中で音楽をする“作業場”と位置づけていて、必要なときはいわゆるレコーディング・スタジオを借りる前提です。ここに長くとどまるかも分からないので“防音/遮音工事をせず仮設でどこまでできるか”という実験を兼ねています。引っ越しても調音環境を引き継げるよう可搬性のあるSHIZUKAの音響パネルを多く使い、こういうことができるという一例として誰かの参考になればとも思っています」

 この作業場のコンセプトを葛西氏はこう語る。

 「2.1chでのステレオ・ミックスと立体音響を、セッション中でもシームレスに行き来できるシステムを実現させたかったので、その前提でスピーカー・レイアウトを決めています」

 音響調整の要となったSHIZUKAの音響パネルについてもう少し詳しく聞いてみよう。

 「モニター・スピーカーの後ろにSHIZUKA Stillness Panel SDM-1800で壁を作ったり、吸音材を天井に張ったり床に置いたり、日々アップデートしています」

APPLE Mac MiniにAVID Pro Toolsをインストール。ステレオ2.1chと立体音響のミックスを同時にできるよう、前後上下にCODA AUDIO D5-Cubeを計8台設置し、8chキューブ・システムを構築

APPLE Mac MiniにAVID Pro Toolsをインストール。ステレオ2.1chと立体音響のミックスを同時にできるよう、前後上下にCODA AUDIO D5-Cubeを計8台設置し、8chキューブ・システムを構築

オーディオ・インターフェースはラック3段目のAVID 192 I/Oで、AD/DAコンバーターのCRANE SONG Hedd 192(2段目)にAES/EBUで接続

オーディオ・インターフェースはラック3段目のAVID 192 I/Oで、AD/DAコンバーターのCRANE SONG Hedd 192(2段目)にAES/EBUで接続

 続けて、モニター・スピーカーを入手した経緯や、現在のモニター環境についてこう話す。

 「マスタリング・エンジニアのオノセイゲンさんがATC SCM100 SLを手放されるということで、APOGEE ACOUSTICSのスーパー・ツィーターと併せて譲ってもらいました。何のストレスも無く快適ですね。サブウーファーMUSIKELEKTRONIC GEITHAIN Basis 14Kもあって全部の帯域が見えるので、マスタリングもしやすいです」

モニター・スピーカーはATC SCM100 SL。その上のAPOGEE ACOUSTICSのスーパー・ツィーターと中央のサブウーファーMUSIKELECTRONIC GEITHAIN Basis 14Kにより超高域から超低域まで再生可能

モニター・スピーカーはATC SCM100 SL。その上のAPOGEE ACOUSTICSのスーパー・ツィーターと中央のサブウーファーMUSIKELECTRONIC GEITHAIN Basis 14Kにより超高域から超低域まで再生可能

モニター・ヘッドフォンは写真のSHURE SRH840のほか、ULTRASONE Signature Proを使用

モニター・ヘッドフォンは写真のSHURE SRH840のほか、ULTRASONE Signature Proを使用

 立体音響用には、8台のCODA AUDIO D5-Cubeを使った上下層4chずつの8chキューブ・システムを構築。

 「D5-Cubeは、立体音響の仕事をよくご一緒するACOUSTIC FIELDの久保二朗さんの作業場でも使われています。5.1chやDolby Atmos、サウンド・インスタレーションなど、どんなフォーマットも対応できるように8chキューブのシステムを組みました。最終確認は納品フォーマットに応じたスタジオで行うのですが、大抵はロー感とセンターの微調整くらいで済んでいるので、分かりやすいモニターだと思います」

フィジカルな要素によって音の作り方が変化

 先述のメインの部屋の奥には、エディット作業やボーカル・レコーディングができる部屋を併設。モニター・スピーカーは、葛西氏が10年愛用するMUSIKELECTRONIC GEITHAIN RL904で「奥行きの表現がしやすい」と評価する。さらに、ここでも“仮設”にこだわった調音の工夫が行われた。

 「この部屋はもともとフローリングだったのですが、歌を録るときに振動が入ってしまうので、SHIZUKAさんに相談して仮設の“浮き床”にしました。アルミを並べて、ホワイト・ウールを入れ、ベニア板、鉛のシート、カーペットを敷いたんです。さらに、壁際には部屋を囲むように10枚ほどSHIZUKAの調音パネルStillness Panel B-500-2を置いています」

奥の部屋ではボーカル・レコーディングのほか、エディット作業などを想定。中央にはRHODES MK1 Suitcase Seventy Threeが置かれている

奥の部屋ではボーカル・レコーディングのほか、エディット作業などを想定。中央にはRHODES MK1 Suitcase Seventy Threeが置かれている

モニター・スピーカーはMUSIKELECTRONIC GEITHAIN  RL904

モニター・スピーカーはMUSIKELECTRONIC GEITHAIN RL904

Stillness Panel SDM-1800をはじめとするSHIZUKAのパネルを多数使い、可搬性を重視したルーム・チューニングを行う

Stillness Panel SDM-1800をはじめとするSHIZUKAのパネルを多数使い、可搬性を重視したルーム・チューニングを行う
浮き床の設営の様子。フローリング上にアルミのフレームが並ぶ(写真左 *)。アルミのフレーム上にはホワイト・ウールが並べられている(写真右 *)
ホワイト・ウールに続き、ベニア板、鉛のシートを重ねていく(写真左 *)。カーペットを並べて浮き床が完成。これにより、振動を気にすることなくボーカル・レコーディングができる(写真右 *)

 続いてこの部屋で行うボーカル・レコーディングのマイクや、ボーカル処理について尋ねてみよう。

 「ボーカル・レコーディングでは、MIC SHOP MS47、UPTON 251、TONE FLAKE T67などにマイクプリのMANLEY Slam!を合わせることが多いです。MS47はミッドが前に出るマイクです。もう少し高域や低域を出してドンシャリにしたいときは251、ナローにしたかったらT67というように使い分けています。Slam!は色付けがほぼ無く、さらっと録ってもすごく良い音ですし、コンプも内蔵しているので便利です」

 ミックスで多用するアウトボードは、CHANDLER LIMITED RS124とRETRO INSTRUMENTS Retro 176を挙げる。

 「RS124は細かい調整が効きづらい暴れん坊なので、微調整が効くRetro 176とセットで使います。Pro Toolsのハードウェア・インサートでも数珠つなぎになっています」

葛西氏所有のマイクの一部。上段左より、LEWITT DTP640REX、AUDIO-TECHNICA ATM25、SHURE Beta91A、JOSEPHSON E22S、SENNHEISER MD409、 BF541、SOUNDFIELD SPS200、AUDIO-TECHNICA AT4060、UPTON 251、TONE FLAKE T67、MIC SHOP MS47。下段左より、AKG D112、ROYER LABS R121、AUDIO-TECHNICA AT4081、MILAB MICROPHONES Embla、AKG C414-ULS、SHURE SM58 V.I.R Modify、SM57 V.I.R Modify、NEUMANN KMS105、TELEFUNKEN M80、PLACID AUDIO Copperphone

葛西氏所有のマイクの一部。上段左より、LEWITT DTP640REX、AUDIO-TECHNICA ATM25、SHURE Beta91A、JOSEPHSON E22S、SENNHEISER MD409、 BF541、SOUNDFIELD SPS200、AUDIO-TECHNICA AT4060、UPTON 251、TONE FLAKE T67、MIC SHOP MS47。下段左より、AKG D112、ROYER LABS R121、AUDIO-TECHNICA AT4081、MILAB MICROPHONES Embla、AKG C414-ULS、SHURE SM58 V.I.R Modify、SM57 V.I.R Modify、NEUMANN KMS105、TELEFUNKEN M80、PLACID AUDIO Copperphone

多用する機材を集約したラック。上から、RETRO INSTRUMENTS Retro 176(コンプ)、CHANDLER LIMITED RS124(コンプ)、BRICASTI DESIGN M7(リバーブ)、CHANDLER LIMITED TG12345 Curve Bender(EQ)、TG12413 Zener Limiter(コンプ/リミッター)、MANLEY Slam!(リミッター/マイクプリ)、BRENT AVERILL 1272(マイクプリ)、UNIVERSAL AUDIO 2108(マイクプリ)、EMPIRICAL LABS Distressor EL-8(コンプ)×2台

多用する機材を集約したラック。上から、RETRO INSTRUMENTS Retro 176(コンプ)、CHANDLER LIMITED RS124(コンプ)、BRICASTI DESIGN M7(リバーブ)、CHANDLER LIMITED TG12345 Curve Bender(EQ)、TG12413 Zener Limiter(コンプ/リミッター)、MANLEY Slam!(リミッター/マイクプリ)、BRENT AVERILL 1272(マイクプリ)、UNIVERSAL AUDIO 2108(マイクプリ)、EMPIRICAL LABS Distressor EL-8(コンプ)×2台

 制作機材も日々更新し続ける葛西氏。AVID Pro Toolsでのミックスについて「フィジカルな要素が入ると、マウスでのミックスとは音の作り方が変わる」と言い、AVID Artist Mixを含む4種類のフィジカル・コントローラーを活用。

 「Pro Toolsを映すディスプレイは、タッチ・コントロールでフェーダーなどが操作できるSTEVEN SLATE AUDIO Raven MTI2です。ほかには、エンジニアの米津(裕二郎)君に教えてもらったELGATO Stream DeckとREFUSE SOFTWARE Mulliganも使っています。MulliganはPro ToolsのパラメーターをMIDIコントローラーにアサインできるソフトウェアなので、僕は16個のツマミで構成されたDJ TECHTOOLS MIDI Fighter Twisterに機能をアサインしています」

タッチ・ディスプレイのSTEVEN SLATE AUDIO Raven MTI2や、その左前に置かれたMIDIコントローラーDJ TECHTOOLS MIDI Fighter TwisterでPro Toolsのパラメーターを操作。その右のELGATO Stream Deckはステムの書き出しやANTARES Auto-Tuneの操作などを行う

タッチ・ディスプレイのSTEVEN SLATE AUDIO Raven MTI2や、その左前に置かれたMIDIコントローラーDJ TECHTOOLS MIDI Fighter TwisterでPro Toolsのパラメーターを操作。その右のELGATO Stream Deckはステムの書き出しやANTARES Auto-Tuneの操作などを行う

 最後に葛西氏は、今後の作業場の活用に意欲を見せる。

 「思い付いたことを試してもっと部屋の音を整えたり、もう少し楽器を置いて、ミュージシャンがラフ・スケッチできるよう活用していきたいですね。それから、自主レーベルを作ったので、その作品も作っていきたいと思っています」

Equipment

 DAW System 
Computer:APPLE Mac Mini
DAW:AVID Pro Tools
Audio I/O:AVID 192 I/O
AD/DA Converter:CRANE SONG Hedd 192
Controller:STEVEN SLATE AUDIO Raven MTI2(ディスプレイ)、DJ TECHTOOLS MIDI Fighter Twister、ELGATO Stream Deck、NATIVE INSTRUMENTS Komplete Kontrol S49、CASIO GZ-5

 Outboard & Effects 
Mic Preamp:MANLEY Slam!、BRENT AVERILL 1272、UNIVERSAL AUDIO 2108
Compressor:RETRO INSTRUMENTS Retro 176、CHANDLER LIMITED RS124、TG12413 Zener Limiter、EMPIRICAL LABS Distressor EL-8、SLATE PRO AUDIO Dragon

EQ:CHANDLER LIMITED TG12345 Curve Bender
Reverb:BRICASTI DESIGN M7
Others:THERMIONIC CULTURE Culture Vulture(ディストーション)

 Recording & Monitoring 
Monitor Speaker:ATC SCM100 SL、MUSIKELECTRONIC GEITHAIN RL904、他
Monitor Controller:SPL 2Control
Audio Amp:AMCRON CT4150
Headphone:SHURE SRH840、ULTRASONE Signature Pro
Microphone:AKG C414-ULS、AUDIO-TECHNICA ATM25、AT4060、AT4081、JOSEPHSON E22S、LEWITT DTP640REX、SENNHEISER MD409、BF541、SHURE Beta91A、MIC SHOP MS47、MILAB MICROPHONES Embla、NEUMANN KMS105、PLACID AUDIO Copperphone、ROYER R121、SOUNDFIELD SPS200、TELEFUNKEN M80、TONE FLAKE T67、UPTON 251、他

 Instruments 
Keyboard:RHODES MK1 Suitcase Seventy Three
Synthesizer:EMPRESS EFFECTS Zoia

 

葛西敏彦

葛西敏彦
スタジオ録音からライブPA、サウンド・インスタレーションなど、場所を問わず音へのアプローチを続けるエンジニア。蓮沼執太、青葉市子、スカート、岡田拓郎、寺尾紗穂、大友良英などを手掛けるほか、舞台作品への参加やサウンド・プロデュースなども行う

 Recent Work 

『Wellmade』
CRCK/LCKS
(APOLLO SOUNDS)

次に欲しい機材は…?

 Variable Muタイプの2chコンプが欲しいです。プラグインで換えが効く機材も増えてきていますが、Variable Muタイプのコンプの感じはなかなかプラグインでは出ないんです。今はRetro 176などを使っているのですが、ほかにも良いものがあれば欲しいですね。特にVERTIGO VSC-2やFAIRCHILD 670を再現したUTA UnFairchild 670M Ⅱ、CHANDLER LIMITEDから最近発表されたRS660が気になっています。

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