長野県唯一の県立美術館である長野県立美術館。建物が風景の一部となる“ランドスケープ・ミュージアム”をコンセプトとして掲げ、地域住民や観光客の交流や学びの拠点としての役割も担うこの場所で、細井美裕が2つの展示を手掛けた。善光寺をはじめ、周辺地域の音をリアルタイム配信するサウンド・インスタレーション『起点』と、長野の自然をテーマに、比嘉了とともに作り上げた映像音響作品の『配置訓練』だ。その制作の軌跡を、細井をはじめ、制作に携わった人々とともに探っていこう。
- 【目次】
- Episode 1|細井美裕 × 長野県立美術館 松井正
- サウンド・インスタレーション『起点』
- Episode 2|細井美裕 × 善光寺 小林玄超
- Episode 3|細井美裕 × エンジニア 伊藤隆之
- 映像音響作品『配置訓練』
細井美裕
【Profile】マルチチャンネル音響を用いた空間そのものを意識させるサウンド・インスタレーションや、舞台公演、自身の声の多重録音を特徴とした作品制作を行う。これまでにNTT ICC無響室、YCAM、札幌SCARTS、東京芸術劇場コンサートホール、愛知県芸術劇場、国際音響学会AES、羽田空港などで作品を発表。本誌では2020年より連載『realize』を執筆。
Episode 1|細井美裕 × 長野県立美術館 松井正
ここでは、プロデュース/コーディネートを行った長野県立美術館の松井正氏と細井の対談をお届けしよう。
長野県立美術館
【所在地】〒380-0801 長野県長野市箱清水1-4-4
【開館時間】9:00
【閉館時間】17:00(展示室入場は16:30まで)
【休館日】毎週水曜日(原則、水曜日が祝日の場合は翌平日)、年末年始(12/28〜1/3)
2021年に“長野県信濃美術館”から改称してリニューアル・オープンした信州唯一の県立美術館。善光寺に隣接し、まち並みと自然と建物が調和する“ランドスケープ・ミュージアム”として、“鑑賞”“学び”“交流”“研究”の4つの柱を軸に、長野にゆかりのある作家や信州の風景画を中心とした近現代美術の収集や展示を行う。
作家と美術館のチームワーク
──『起点』『配置訓練』はどのように制作が始まりましたか?
松井 当館が2021年に長野県立美術館としてリニューアル・オープンしたのを機に、メディア・アートを取り入れることになり、館内の“交流スペース”にプロジェクターを6台使った映像投影の環境を整えたんです。その上映作品の第2弾として、長野県出身のキュレーター阿部一直さんのアドバイスから細井さんと比嘉了さんに作ってもらったのが『配置訓練』です。加えて、阿部さんから屋上にも作品を作ったらどうかと提案があったんです。
──その屋上で作られた作品が『起点』ということですね。
細井 “ランドスケープ・ミュージアム”というコンセプトで建築された美術館で屋上の景色がすごく良いので、機材などを置かずに作品を作ろうと考えました。景色を拡張して“美術館ってどこまでが美術館なんだっけ”と考えられる作品として、屋上から見える場所を幾つか選んで、そこで実際に聴かれている音をリアルタイム配信すれば、景色を変えずに遠くまで体を飛ばせると思ったんです。音を集める場所は、私が屋上から見えるアイコニックな場所を選んで、具体的な場所の特定と協力してもらう交渉は、地域の方の信頼もある美術館に窓口をお願いしました。
松井 企画の趣旨として気付きがあるロケーションがあるといいと思ったので、候補の場所以外もリサーチして提案しました。例えば、作曲家の草川信が童謡「夕焼け小焼け」のヒントを得たと言われる“往生寺”と“善光寺”、画家によく描かれる犀川が横を流れる“裾花峡天然温泉宿 うるおい館”などです。我々は収蔵作品を展示室で公開し、空間が仕切られた美術館の中で作家の痕跡をたどってもらいますが、作家が実際に過ごした場所や歴史が風景の中に溶け込んでいるのも音と一緒に気づいてもらいたくて提案しました。
細井 松井さんとは企画段階から背景を共有できているので、私たちが何を意図して作ったかを分かっている人が現地にいるのはすごくありがたかったです。
──松井さんは作品にどのような印象を持たれましたか?
松井 この美術館はもともと民間主導でできた歴史があり、市民の芸術への関心が高いので、美術館を建て替えるときも町との交流はテーマに掲げていたんです。でも外から作家の方が来て街中にマイクを置くというアイディアは、美術館としては絶対出てこないし、ある意味“強制的に町と関わる”のはすごく新しいですし、現役の作家の方に美術館や街を見てもらって一緒に考えることの重要性を感じました。
サウンド・インスタレーション『起点』
サウンド・インスタレーション『起点』は、美術館の屋上で周辺の景色が一望できる“風テラス”に設置された作品。屋上から眺めることのできる長野市内の全9地点にマイクを含む集音デバイスを設置。風テラスには各地点からの音声がリアルタイムで流れる振動スピーカーを設置した。
システム概要
周辺施設からの集音
周辺施設などの9地点に集音システムをボックスにまとめて設置(写真上番号が設置場所)。音声はRaspberry PiからポケットWi-Fiで送信
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音声の送受信
美術館に設置した2台のMacで音声を受信。1台は再生音声の制御を行うプログラムを設定、もう1台は遠隔地での確認に使用
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美術館屋上での再生
屋上に取り付けられた9台の振動スピーカーから、各集音地点の音をリアルタイムで配信。再生順や音量はMaxのプログラムで制御
『起点』
●会期:2023年9月1日~19日 ●集音デバイス/音声伝送システム:安藤充人 ●再生システム:伊藤隆之 ●インストール:イトウユウヤ(arsaffix Inc.) ●設営アシスタント:伊藤音渡 ●キュレトリアル・アドバイザー:阿部一直 ●製作進行マネジメント:白澤千恵子(長野県文化振興事業団) ●プロデュース/コーディネーション:松井正(長野県立美術館) ●支援:令和5年度文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業 ●集音協力(五十音順):甘酒茶屋やよい(善光寺敷地内)、アマンダンスカイ、往生寺、往生地地区りんご農園、THE SAIHOKUKAN HOTEL、裾花峡天然温泉宿うるおい館、善光寺、善光寺本坊大勧進
Episode 2|細井美裕 × 善光寺 小林玄超
続いて、細井とともに善光寺を訪問。『起点』の集音が行われたこの場所で、庶務部長の小林玄超氏に話を伺う。
善光寺の音環境と発想の共通点
──集音マイクを設置することについてはどうお考えでしたか?
小林 最初はピンとこなくて“どういうこと?”って。でも我々としても受け入れやすかったのは、美術館さんが間に入ってくれたこと。事前にお話ができたので安心しました。もっとこっちに置いたらキツツキの音が聴こえるんじゃないかな、などとも思いつつ、楽しくご相談させていただきました。
──作品もご覧になったそうですが、いかがでしたか?
小林 最初、何の音もしてないような気がして。でも聴きたいと思ってふっと耳を澄ましたときに、風鈴の音とか聴こえてくるんです。近づくうちにこっちとあっちで違う音がしたり、1個1個でも聴こえるし、普段の生活ではあんなに何か所もの音が出ることはないので不思議な感じでした。夕方に行ったのですが、善光寺は人が減る時間なんです。でも犀北館ホテルやうるおい館にはすごく人がいて。離れているからこそ、逆に人が活発になる感じが面白かったです。
細井 自分の作品を置くと景色に違和感が出ると思っているので、見た目を全部隠せば、景色は変わらないまま別の場所について考えられるかしら?と思って。『起点』は、自分の体を飛ばしたいと思って作ったんです。善光寺はそこにあるけど、美術館から想像する音と実際の音は違ったりする。事実に基づいているのに、見える景色と聴こえる音が違うという想像の世界を見てもらえたらと思って。だから“人が動いている感じがする”という事実ベースの想像はうれしいです。
小林 今の話を聞いて思ったのが、善光寺の御詠歌に“身はこゝに 心は信濃の 善光寺 導きたまへ 弥陀の浄土へ”という歌があって、自分が江戸や京にいても、心は善光寺に飛ばして極楽を願う歌なんです。ここにいて違うところを感じるっていうのはそれともつながるな、面白いなと思いました。
──冒頭ではキツツキの音がするというお話もありましたが、善光寺の中ではどのような音が聴けるのでしょうか?
小林 夏は朝のお勤めが始まる前の4時半に、本堂の中で鐘をジャンジャンたたきます。朝のお勤めでは天台宗と浄土宗が違うお経を読むんですけど、天台宗では声明という仏教音楽があり、その後大きな木魚をゆっくりたたきながら法華経を読みます。浄土宗はリズムが速い阿弥陀経で、ダダダダと打つ音がします。そういう仏教的な音もありますし、お客さんを呼ぶ“案内人”の“おきゃーくさーん”って独特な声もします。音だけ聴きにくるのも面白いかもしれませんね。
Episode 3|細井美裕 × エンジニア 伊藤隆之
『起点』はエンジニアによるシステム構築が必要不可欠だった。エンジニアの伊藤隆之氏と細井にその詳細を尋ねた。
エンジニアとのシステムの構築方法
──まずはシステムの概要を教えてください。
細井 送りのプログラムは安藤充人さんが作り、各集音地点にデバイス・ボックスを1個ずつ置きました。自作マイク→STEINBERG UR12→Raspberry Piと音が入り、VPN接続で美術館側のAPPLE MacBook Proに送ります。9本のリアルタイムのストリーミングが仮想オーディオI/OのEXISTENTIAL AUDIO BlackHoleに書き込まれ、Max/MSPで受け取る仕組みです。それがYAMAHA Rio3224-D2からアンプを通り、Danteで振動スピーカーに送られました。再生用のMaxプログラムは伊藤さんに書いてもらい、私が送ったUIの元になるイメージを汲み取って機能を足してくれたんです。
伊藤 UIのイメージのほかに、どう音を鳴らしたいのか、例えば、音量がゆっくり波のように変化しているとか、そういった情報を細井さんから幾つかいただいて、必要なことがしやすいようにパッチを作成しました。
細井 一つの景色を見るみたいに左から右へ音が流れるとか、全部が消えて元の屋上の音に戻すこともしたくて。見える景色と音の景色をつないだり切り離したりしました。
──美術館での再生装置の取り付けはどのように?
細井 スピーカーの取り付けはイトウユウヤさんがしてくれました。振動子が重くて、両面テープとかでは落ちちゃうし、美術館で強い接着剤は使えないし、押し付け具合で音が変わるので苦労しました。最終的にはマスキング・テープと両面テープを貼ってから振動子を付けて、板とスピーカーの間に薄いウレタンを敷いて振動する余白を持たせています。
伊藤 空間が広いので、音量はそれなりに欲しくて。スピーカーからあまりよく出ない低音を削ったりしながら基礎的なところを整えて、あとは1日聴いて、おかしいところを調整していきました。現場を離れた後も美術館学芸員の松井さんとテキスト・チャットしながら調整もしましたね。
──エンジニア・チームとの協力体制が素晴らしいですね。
伊藤 技術者的にも面白いテーマがいろいろ入っていると思いました。予算内で屋外設置用のクオリティの高いマイクを作ったり、会場の環境音とハーモニーになるような感じで出音を自動でミックスさせたりとか、ほかにも開発を続けたくなるような要素が多く、楽しかったです。
細井 コンセプトを共有してみんなで一緒に作るから、同じ脳みそ、違う手で作っている感じがして良かったです。
映像音響作品『配置訓練』
館内の交流スペースで上映された『配置訓練』は、細井とビジュアル・アーティスト比嘉了が共同で制作を行った映像音響作品。美術館周辺の地形や星座のデータを元にした映像とともに、コンセプトの鍵となるフレーズを軸にした多重音声によるサウンドが5.2chスピーカーで空間全体に広がる。
『第Ⅱ期みんなのアートプロジェクト成果展 配置訓練 細井美裕+比嘉了』
●会期:2023年7月15日~9月10日 ●主催:長野県、長野県立美術館 ●協賛:株式会社ジェネレックジャパン、株式会社静科 ●キュレトリアル・アドバイザー:阿部一直 ●サウンドエンジニア:奥田泰次(studio MSR)
膨大な情報との向き合い方を提案
──比嘉了さんと共同制作された『配置訓練』のイメージはどのように膨らませましたか?
細井 収蔵作品になるので、作品としてだけではなくデータも収蔵したくて、美術館周辺の地形や星座の観測データを使いました。コンセプトは、大量にたまったデータをどう読み取って再解釈するか、情報への向き合い方を考える作品です。数え切れない情報の比喩として星座をモチーフに、昔の人がある領域を表現するために星をつないで星座を作ったように自由な物の見方ができたらいいなとか、星座も宇宙の違う角度からは違う見方をするべきだとかが分かるといいなと思って、見た人がどうやって情報を見てつなげていくかという発想を持ち帰ってほしくて『配置訓練』と付けました。
──作品の音のコンセプトはどうやって決めたのですか?
細井 映像で使った地形や星座のデータは集合知なので、音は、誰のためにもならないけど取っておきたいパーソナルな情報で対比ができたらと思いました。展開は、コンセプトにとって重要なマーシャル・マクルーハンの"我々はバック・ミラー越しに現在を見ている"という言葉を軸に、モールス信号のパターンをいろいろな質感で鳴らして、この信号をどう残せば人間味があるように聴こえるか考えました。
──サウンド面の制作はどのように進んだのでしょう?
細井 20分間の作品なのでAPPLE Logic Pro for iPadで小さいモチーフを大量に作り、MIDIをABLETON Liveに送って自分の声のサンプルで聴こえ方を確かめてから録音しなおしています。“あー”と言うにも、母音を微妙に変えて重ねないとピークが一緒になってしまうので、“いー”寄りの“あー”とかパターンを作って、人がたくさんいるように聴かせました。低音にはシンセも使っていて、サイン波など声と溶けやすい音を選んでいます。ミックスは奥田泰次さんにお願いして、音量感や雰囲気は現場で調整しました。
空間全体で大きいLRのような音像を目指した
──スピーカー配置はどのように設定しましたか?
細井 台数は5.2chですが、スウィート・スポットが中心に集まりすぎると視覚的な広さと音が聴こえるエリアに差が出るので、モニター・スピーカーのGENELEC 8020Dを少し外ぶりにして、空間全体で大きいLRのような音像を目指しました。空間の補完でリアも1台取り付けています。左右に置いたサブウーファーの7050Cは、正面に向けると音のうねりが出たので、壁向きに置いて壁自体を鳴らす感じにしました。
──最後に、作品の仕上がりについてお聞かせください。
細井 映像の最後が長野県立美術館を中心とした地形で終わるので、外に出たときに、ここだったんだって気付くといいなと思っています。作品を収蔵した2023年に、我々は星座が生まれたときみたいなデータの見方が必要だと思ったという問題意識の保存もできるといいですね。