デビュー25周年を迎え初のベスト・アルバムをリリース。その発売を記念して開催された、6年ぶりとなる全国ツアーのさいたまスーパーアリーナ公演から音響システムに迫る
2024年4月、自身初のオールタイム・ベスト・アルバム『SCIENCE FICTION』をリリースした宇多田ヒカル。誰もが知る名曲の数々を収録する本作は、新たにレコーディング/ミックスされた楽曲も多く、時代を超越した作品と言っても過言ではないだろう。リリースを記念して7月13日から9月1日まで行われたツアー『SCIENCE FICTION TOUR 2024』は、日本の全国各地だけでなく、台北、香港においても多くの観客を魅了した。本稿では、当ツアーのPAエンジニアを務めたアンドリュー・ウィリアムソンへのインタビューを中心に、7月24日にさいたまスーパーアリーナで行われた公演に潜入したレポートをお届けする。
DATE:2024年7月24日(水)
PLACE:さいたまスーパーアリーナ
PHOTO:岸田哲平(ライブ)、小原啓樹(機材)
アーティストに合わせてスピーカー・システムを選択
これまでに、ジェシー・J、ビービー・レクサ、ジョナス・ブラザーズなどのライブPAを行ってきたというスコットランド出身のウィリアムソン。今夏のツアーで宇多田のライブに関わるようになったきっかけから聞いていこう。
「僕とヒカルの共通の友人、ミックス・エンジニアのスティーヴ・フィッツモーリスがヒカルのライブを手掛ける人間を探していて、声をかけてくれたんだ。素晴らしい話だと思ったよ。スコットランド人が日本人アーティストと仕事をするなんて滅多にないことだからね」
取材時には、既に福岡、愛知のライブを終えていたこともあり、海外と日本の会場の違いについて尋ねてみた。
「日本では、機材をつるす際に制限を設けられることがあってね。例えば普段の現場では卓の真上にディレイ・スピーカーをつるすけれど、法律のため会場によっては人の頭上につるすことができない。だから、ちょっとした妥協が必要になってくることがあるんだ。でも、全般的には同じかな。日本のクルーのほうがフレンドリーかもしれないよ(笑)」
さいたまスーパーアリーナは、コンサート・アリーナとして約2万人もの収容人数を誇る大規模な会場だ。スピーカー・システムには、L-ACOUSTICS製品を採用する。「システム・エンジニアと2人でプランニングしたんだ。どの機材を使用するかは、僕がアーティストのサウンドに合わせて選んでいるよ」と語る。
「L-ACOUSTICSには少しハイファイなところがあって、それがヒカルの音楽に合っている。彼女の音楽のスタイルはとてもバラエティに富んでいて、フォークや日本風のもの、サンバ、ロックとさまざまだからね。あとは、Bステージ(客席中央の最前列辺りに設けた、せり出しのステージ)は、彼女が歌いやすいように少しだけレベルを下げているよ」
ボーカル・マイクにはアーティストが気持ち良く歌えるものを
FOHのDIGICO Quantum 5は、お気に入りのコンソールとのことだ。
「スコットランド製だからさ(笑)。僕は開発チームのことを知っているし、とても信頼しているよ。DIGICOは世界中に普及しているから、どこに行っても調達できるのが安心なんだ。もちろん機能としても信頼感があって、音も素晴らしい。Quantum 5には僕が求めているものがすべて備わっているよ」
続いてインプット周り。宇多田のボーカルには、カプセルにSENNHEISER MM 435を用いたワイヤレス・マイクを使用する。
「リハーサルでいろいろなマイクを試してみたけど、ヒカルが使い慣れているMM 435に落ち着いたんだ。彼女はこのサウンドが好きだし、あまり重くないから一晩中でも持っていられる。僕は常に自分の好きなマイクを持っていくけど、必ずアーティストが使いたいものを使ってもらう。アーティストが気持ち良く歌えるマイクであることが大事なんだ」
ボーカルの音作りについても聞いた。
「ヒカルのために専用のラックを用意している。RUPERT NEVE DESIGNS Shelford Channelで少しだけサチュレーションした後に、エンハンサーの5045へと送っている。5045でかぶりを取り除くから、スピーカーの前にあるBステージでも素晴らしいサウンドが保てるんだ。その次にEMPIRICAL LABS Distressor EL-8で速いアタックのコンプをかけて、TUBE-TECH CL 1Bでスムーズにする。最後にQuantum 5のEQをほんの少しかけている。アナログやハードウェアが良いというわけではなく、プラグインも素晴らしいからもちろん使っているよ。けど、僕がちょっと年なこともあるからか、なぜか実機のほうに魅力を感じるんだ」
肝心なのはライブ全体が素晴らしいかどうか
そのほか、「素晴らしいマイク」と評するキックのDPA MICROPHONES 4055、スネアのAKG C451 BとBEYERDYNAMIC M 201、ハイハットとライドなどの金物をソフトなサウンドで捉えるというリボン・マイクのM 160などは、どの現場でも使用しているそうだ。では、バンドも含め、出音として意識していることは何なのだろうか。
「ドラムのアイザック(・キジート)以外のメンバーは全員キーボードも弾いていて、どうしても中域が増えてくるからバランスに気をつけないといけない。すべての音が聴こえるようにしつつ、耳が痛くならないようにもする。そこがちょっと頑張らないといけない点だね。さっきも言ったけど、セットリストにはいろんなタイプの音楽がある。原曲のアレンジも複雑だから、ストリングスやブラス、パーカッションなどはバッキング・トラックを流しているけれど、そのアレンジが素晴らしいからミックスがとてもやりやすいんだ」
「ヒカルの声の響きが美しいと、みんながハッピーなんだ」と語るウィリアムソン。最後に、観客にはどこに注目してほしいかを聞くと意外な答えが返ってきた。
「サウンドには全く注目すべきではないと思うね。ライブが終わった後で、“サウンドが素晴らしかった”“ライティングが最高だった”と言うべきじゃない。“ライブが素晴らしかった”と思うべきなんだ。オーディエンスはライブを総合的に気に入るべきで、肝心なのは全体であって、ライブの一部であってはならない。ただ、会場を出るときに“音が良くなかったな”とは言ってもらいたくないけどね(笑)」
宇多田がMCで、自身の25周年でありつつも「みんなの25年を一緒に祝いたい」と話していた言葉が特に印象的で、満員の観客も一体となってライブを作り上げていることが強く感じられた。そこには、宇多田のシルキーなボーカルやバンドの骨太なグルーヴを客席の隅々まで届けるウィリアムソンら音響チームの手腕が確実に寄与しており、心の底から“素晴らしい”と感じた夜であった。
MUSICIAN
宇多田ヒカル(vo)、ベン・パーカー(g、他)、シェイ・アデルカン(b、他)、アイザック・キジート(ds)、ヘンリー・バウワーズ=ブロードベント(k、他)、大森日向子(k)
MUSIC
- time will tell
- Letters
- Wait & See ~リスク~
- In My Room
- 光
- For You〜Distance(Medley)
- traveling
- First Love
- Beautiful World
- COLORS
- ぼくはくま
- Keep Tryin’
- Kiss & Cry
- 誰かの願いが叶うころ
- BADモード
- あなた
- 花束を君に
- 何色でもない花
- One Last Kiss
- 君に夢中
- Electricity
- Automatic
STAFF
企画・制作:U3MUSIC / UHコンサート事務局
主催:U3MUSIC
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