【第1回】ディアンジェロ「Chicken Grease」に見る生演奏による“よれたビート” 〜横川理彦のグルーヴ・アカデミー

【第1回】ディアンジェロ「Chicken Grease」に見る生演奏による“よれたビート” 〜横川理彦のグルーヴ・アカデミー

新連載の第1弾は、リズムに特徴のある名曲から毎回1曲をピックアップし、そのリズムの構造をDAWベースで分析/考察する「グルーヴ・アカデミー」です。横川理彦が膨大な知識と定量的な分析手法に基づいて、説得力あふれる解説を展開。連動音源も含め、曲作りに携わるすべての人のヒントになることを願います。初回は、2000年に発表され、鮮烈なグルーヴで多くのリスナーに衝撃を与えたディアンジェロ『VOODOO』収録の「Chicken Grease」を分析します!

『VOODOO』
ディアンジェロ
(ユニバーサル)

対象曲をDAWに取り込んで分析

 この新連載は、グルーヴについての分析/研究を目的にしています。グルーヴとは、“リズムのノリが良くて踊りたくなるようなワクワク感”というニュアンスで、大筋で見るとスウィング/シャッフルの度合いと音色の組み合わせが要点となっているのではないでしょうか。たくさん具体例を調べることで見えてくるものがあると思います。研究方法は、DAW(ABLETON Live)に楽曲のオーディオ・データを貼り付け、打点の位置や音色を正確にコピーしていくというものです(画面❶)。

画面❶ 分析時のABLETON Liveプロジェクト画面。最上段が分析対象曲を入れたオーディオ・トラック、その下段がコピーしたMIDIトラック。ABLETON Liveではワープ機能によりオーディオを読み込んだ段階でテンポ検出可能。またワープマーカーで部分的に調整することもできる

画面❶ 分析時のABLETON Liveプロジェクト画面。最上段が分析対象曲を入れたオーディオ・トラック、その下段がコピーしたMIDIトラック。ABLETON Liveではワープ機能によりオーディオを読み込んだ段階でテンポ検出可能。またワープマーカーで部分的に調整することもできる

 第1回は、R&Bはもちろん、広くポピュラー・ミュージックにおけるリズムの大きな転換点となった名作、ディアンジェロ『VOODOO』から「Chicken Grease」を取り上げます。歴史経過を説明しておくと、1990年代におけるビート・メイキングでは、サンプリングやリズム・マシンのグリッド(正確な音符の位置)が重視されていました。それに対してJ・ディラが、AKAI PROFESSIONAL MPC3000を使った非クオンタイズの打ち込み、トラックごとのシャッフル、データ位置のエディットといった機能を自在に使いこなして“よれたビート”を提示しました。これに啓示を受けたクエストラヴとディアンジェロが、J・ディラ流のビートを生演奏のアンサンブルで実現したのが『VOODOO』だと言われています。アルバムの制作過程については、エンジニアのラッセル・エレバドなど関係者のインタビューにより各種媒体で明かされているので、かなり細かなところまで知ることができます。

 本曲の作曲者に名を連ねているキーボーディストのジェームス・ポイザーは、ザ・ルーツのYouTubeチャンネルで制作秘話を語っています。

 「夜中にコモンのアルバム用に、クエストラヴとディアンジェロとセッションしていたら、この曲のリフに行き当たった。録音テープを聴き込んだディアンジェロがほれ込んで、コモンに掛け合ってこの曲を譲ってもらい、別曲をコモンにプレゼントしたんだ」

 後日参加したベースのピノ・パラディーノは、「スタジオで大騒ぎしながら録音したから、よく聴くと騒ぎ声が混じっている。最後の方で“ジェームズ(・ブラウン)親父に勝ったぜ!”とか叫んでるのが聴こえるよ」と話しています。

J・ディラのグルーヴを人力で

 ではここから「Chicken Grease」の楽曲データをLiveに読み込み分析していきます。まずはテンポ分析。BPMは♩=92.07で一定です。テンポが一定かどうかは、録音時にクリックを使っているかの判断材料となります。

 続いてドラム、ベース、キーボード(音色はギターですが、クレジットからしてジェームス・ポイザーがキーボードで弾いています)をコピーしていきます。大雑把に耳コピした後で波形を拡大表示し、波形が変化するところで細かな音のアタック位置をmsec単位で合わせていきます。このとき、元の音源のトラックをLに、コピーしているトラックをRにというように、左右に振り分けるとズレが分かりやすいです。スタート・ポイントが完全一致すると音がセンターから聴こえてきます。

 音が幾つか重なっているところはどうするか。バスドラなどの低音は波形変化が見えやすいのでコピーしやすいですが、ハイハットは耳で判断することが多いです。ベロシティや楽器間の音量バランスも大切で、100%グリッドにクオンタイズされたハイハットでも、8分や16分音符の音量のニュアンスの付け方によってリズムの聴こえ方は全く変わります。この曲の場合、ハイハットは8分音符の裏拍の方が音量が大きいです。画面❷は波形を見ながらバスドラの位置を調整したところです。コピーの結果はAudio❶のようになりました。

画面❷ 上段の波形が大きくなっているところがバスドラの打点。コピーしたバスドラのMIDIの位置(画面下の赤枠)も打点を正確に合わせている

画面❷ 上段の波形が大きくなっているところがバスドラの打点。コピーしたバスドラのMIDIの位置(画面下の赤枠)も打点を正確に合わせている
Audio❶

 まずドラムのデータを見ると、ハイハットは大体オングリッドですが若干揺れています。2拍/4拍のスネアは5msecほどグリッドより後ろで、これに20〜40msec遅れてクラップが入ります。スネアとクラップで後ろに引っ張るニュアンスです。バスドラはループの最初はグリッド位置ですが、ほかは大体10msecくらい遅れています。“タタ”という2つ打ちの前打音はきっちり3連16分音符の3つ目に入ってスウィングしています。ハイハット、スネアとクラップ、バスドラがそれぞれ違うノリで組み合わさっているわけで、これはまさにJ・ディラがMPC3000で実現した“Dilla Time”をドラムで再現している、と言えます。

 とはいえ、ドラム・セットそのものが複数のパーカッションのアンサンブルを一人でたたくようになったものですし、モダン・ジャズではシンバル・レガートに対し2拍/4拍のハイハットが常に少し遅れているのは常とう句ですから、マシン・ドラム以前の伝統に戻った、と言うこともできます(Audio❷)。

Audio❷

 ピノ・パラディーノのベースが大きく後ろにずれているのはコピーしたデータからも明らかで、これはほぼきっちり3連の16分音符1つ分ずれています(画面❸)。インタビューでパラディーノは「どんどん後ろにずれていったら、あるところで“ここだ”とハマるポイントが見つかったんだ」と語っています。フレーズが正確にずれて重なることによってグルーヴを生み出すというのは、ギニアなど西アフリカのアンサンブルの常道なのですが、ここでたまたまアフリカ音楽の伝統が再現されているように見えるのは面白いです(Audio❸)。

画面❸ 筆者がコピーした、ピノ・パラディーノ風のベース・ライン。画面右上の赤枠、グリッド表示を“1/16T”にすると、ベースの打点がグリッド1つ分後ろに位置する傾向にあるのを見て取れる

画面❸ 筆者がコピーした、ピノ・パラディーノ風のベース・ライン。画面右上の赤枠、グリッド表示を“1/16T”にすると、ベースの打点がグリッド1つ分後ろに位置する傾向にあるのを見て取れる
Audio❸

 キーボードのリフは伸び縮み感の激しい、これぞファンキーと言えるもので、ニュアンスとしては“後ろにためながら、2小節リフの最後で前に引っ張って帳尻を合わせる”ということではないでしょうか。よく聴くと同じ音色でダビングされていて、メイン・リフがRchから聴こえるのに対し、リフの最後の1音はLchから聴こえてきます(Audio❹)。このリフこそが曲の本体で、ラテン音楽のクラーベのようにグルーヴの基準になっているのではないでしょうか。

Audio❹

 このリズム隊に対してディアンジェロの歌はさらに後ろから乗っています。曲の冒頭で歌う“Chicken Grease”の“Chi”はスネア、クラップと同じ位置にあるように聴こえますが、データで見るとクラップから優に60msec、グリッド位置からだと32分音符近く遅れています(画面❹)。あらためてアルバムを通して聴いてみると、ドラムはストレートな打ち込み(特にバラードのM⑫「Untitled(How Does It Feel)」)からDilla Time的なものまでさまざまな中、ディアンジェロの歌が一貫して後ろノリなのが、アルバムのタイム感に一貫性をもたらしているのだと思います。

画面❹ 楽曲の0:29辺り、“Chicken”と歌う部分の波形。拍のグリッド(赤線)から32分音符ほども後ろにズレているのが分かる

画面❹ 楽曲の0:29辺り、“Chicken”と歌う部分の波形。拍のグリッド(赤線)から32分音符ほども後ろにズレているのが分かる

ライブでの「Chicken Grease」

 YouTubeでは『The Chris Rock Show』での「Chicken Grease」のライブを見ることができます。レコーディング・メンバー+チャーマーズ“スパンキー”アルフレッド(g)による4分ほどの、これ以上グルーヴィーにすることは不可能なのではと思える最高の生演奏となっています。テンポを測ってみると、アルバムよりも速い♩=96で始まり、歌の駆け引きで♩=90.8まで一旦落とし、加速/減速を繰り返しながら、最後の歌のコール・アンド・レスポンス(ディアンジェロはグルーヴの一番前でシャウト)で、最速♩=97.2まで加速し盛り上がったところでカットアウトします。

 基準となるテンポが変わることで、グルーヴ感がかなり異なります。クエストラヴは分かりやすくスネアを大きなボリュームでたたいているし、パラディーノのベースも遅れの度合いが少なくなっているようです。他方、リフを奏でるポイザーとギターのスパンキーが完全にシンクロして曲のエッセンスを見事に表現しているのには恐れ入ります。2012年や2015年のライブではドラマーがクリス・デイヴに変わり、ドラムの音色がかなり違います。ただ、どんどんテンポ・アップして、もはや違うグルーヴに。大編成アンサンブルのニュアンスは『サイン・オブ・ザ・タイムズ』以降の、プリンスのライブに似てきています。


横川理彦

横川理彦
1982年にデビュー後、4-DやP-MODEL、After Dinnerなどに参加。主宰するレーベルCycleからのリリースや即興演奏、演劇やダンスのための音楽制作など幅広く活動する。