今月は少し寄り道して、Official髭男dismのシングル『Universe』(CD+Live Blu-ray)にDolby Atmosで収録したライブ映像作品、『ONLINE LIVE 2020 -Arena Travelers-』の模様を少しお話ししようと思います。ヒゲダンの公式YouTubeチャンネルでもDolby Atmos収録について解説する機会を得ましたが、サンレコ読者に向けて、少し技術的に掘り下げていきます。
ハイトやワイドを想定したオーディエンス・マイク
4chリバーブ用のIRも収録
当初、この映像作品をDolby Atmosにすることは決まっておらず、エンジニアとして作品の将来性を残しておきたいという意味でDolby Atmosミックスにもしやすいように高さ情報を収めるオーディエンス・マイクを多めに配置していました。また当日はタムコの中継車R-1にサラウンド・モニター環境を構築し、サラウンドとステレオ(ダウン・ミックス)でモニタリングをしながら収録と配信を進めました。将来、映画館への生配信(ODS)や配信サイトのサラウンド生配信に対応できるエンジニアになりたいという思いもあり、トライさせてもらったのです。
リアルタイムのステレオは、映像作品化の際にステレオ&5.1chマスタリングを担当してもらったポニーキャニオンの多田雄太さんによって、映像を追い越さない遅延範囲のプラグインでリアルタイム・マスタリング。細かいバランスやレンジ感のアドバイスも受けながら進めました。
ソナの染谷和孝さんには、Dolby Atmosでの収録監修をしていただいており、当日も会場の音を客観的に聴いてもらっていました。ライブ配信の収録を担当するレコーディング・エンジニア(ここでは筆者)は、中継車やステージ袖、楽屋の仮設ブースに居るので、本番のサウンドを会場内で聴くことができません。配信サイトで実際に流れる音は会場の音より遅れているため、ミックスしながらそのサウンドを聴くこともできません。さらに、音声は128〜256kbpsくらいのAACに非可逆圧縮されます。よって信頼するディレクターや第三者的立ち位置のエンジニアの存在が必要不可欠なのです。
このようなチームで臨んだ東京ガーデンシアターの収録当日、会場の臨場感を伝えるマイクとしてDPA MICROPHONES 4007(無指向性高耐入力モデル)を、L/RのPAスピーカーを基準に会場の高い位置へオムニ・スクエアで配置。ワイド・チャンネル用に外側の2F席に同じくDPA MICROPHONES 4006(無指向性)を2本置きました。会場中央後方には1次AmbisonicsマイクのSENNHEISER Ambeo VR Mic。これをステレオ配信はバイノーラル、Dolby AtmosミックスではHARPEX Harpex-Xで7.0.2chに変換。さらにフロントへ6本のマイクを配置しました。
リハーサル日に全スタッフの協力のもと、これらのマイクでAUDIO EASE AltiverbのIRを収録、ステレオは本番配信でも使い、後日、AUDIO EASEに4007×4本からサラウンド用のQuad Reverbを作成してもらいました。
回線数は、最大13人という大編成、インプットはゆうに100chを超え、FOHエンジニアの井田真樹さん、モニター・エンジニア古川郁也さん(MSI JAPAN)の使用するAVID S6L(96kHz動作)から48kHzのMADIに変換されて、中継車に送られてきます。ここでこだわったのはワード・クロックでした。ADコンバーターABENDROT Everest 901をお借りし、井田さんとそのクロックによるサウンドを入念にテスト。100chを超えるマルチ回線をより正しくデジタル変換するために、導入が決定しました。
MA的な手法でSEを追加
ハイト・スピーカーの使い方で盛り上がりを演出
実際のミックスは、まずステレオから着手。その作業を終わらせた後、Dolby Atmosミックス収録が正式に決定したタイミングで、各楽器のステムを基準にアップ・ミックスを始めました。しかし、作業を進めていくとやりたいことがどんどん増え、結果としてステムを使う割合より元のマルチから処理することが多かったです。
今回は、普段のライブ・ミックス+αの作業も追加しました。染谷さんには「FIRE GROUND」でのリフト、スモーク、特効の炎の音をはじめ、銀テープの舞い落ちる音、花火が落ちる音などを映画的アプローチで追加していただいています。また、Dolby Atmosマスタリングの監修までお願いしました。
ステレオのMAエンジニア、横田智昭さん(マルニスタジオ)には、MA作業時に「Stand By You」で会場に来られなかったファンの方々のクラップ音を日本武道館や幾つかの会場から追加してもらいました。
ミックスの終盤では、Dolby Atmosの経験豊かなピーズスタジオのエンジニア、村上智広さんとアイディアを出し合い、より精度を上げていきました。例えばフィルム撮影の「夕暮れ沿い」は昭和の音楽番組のようなカット割りで映像ができています。どうやったらその雰囲気を音でも出せるか考え、前半はハイト・スピーカー音を極力抑えた7.1chミックスにし、大サビの盛り上がるところから一気に天井方向に音を上げていきました。この曲では歌もベッド・チャンネルではなくオブジェクトで定位させたりしています。
今作をDolby Atmosミックスにしたいと思った大きな理由の一つが、素晴らしい映像の仕上がり。フィルムを使ったり、ワンカメラで収録したり、無観客ならではのカメラ配置をしたりと、ライブ・チームのこだわりを見事に作品に収めてくれたからこそだと思います。ライブ・ミックスは映像ありきで、映像の良しあしにミックスも引っ張られます。映像チームと密に連絡を取ることで良い相乗効果が出せるのです。長年多くのアーティストの現場で共に仕事しているSEPチームとはあうんの呼吸でできます。またDolby Atmosミックスを聴いていただいたところ、とても喜んでくれました。これからも共に作品のクオリティを上げていきたいと思っています。
まだまだDolby Atmosを聴ける環境は少ないのが現状ですが、連載第1回でも書いたように技術者として向上心を持って、これからも学んでいきたいと思います。
最新シングル「Universe」に、昨年9月の無観客オンライン・ライブ@東京ガーデンシアターの模様をDolby Atmosミックスで収録(ステレオ音声は24ビット/48kHz)。CD+Live DVD盤ではステレオ+5.1ch DTSサラウンドとなっている
古賀健一
【Profile】レコーディング・エンジニア。青葉台スタジオに入社後、フリーランスとして独立。2014年Xylomania Studioを設立。これまでにチャットモンチー、ASIAN KUNG-FU GENERATION、Official髭男dism、MOSHIMO、ichikoro、D.W.ニコルズなどの作品に携わる。また、商業スタジオやミュージシャンのプライベート・スタジオの音響アドバイスも手掛ける。
Photo:Hiroshi Hatano