今回の執筆直前に、ちょうど初のDolby Atmosミックスの仕事が完了しました。年をまたいでスタジオにこもっていたのでようやく新年が迎えられた気持ちです。さて今回は、サウンドを担う重要な部分の一つ、スピーカー選定について書こうと思います。
世界のDolby Atmos導入事例から
スピーカー・ブランドを絞り込む
結論から言えば、Xylomania StudioのDolby AtmosスピーカーはPMC Twotwo.6&5シリーズでの9.1.4chになりました。
日本のスタジオで一番導入されてるサラウンド・スピーカー・メーカーは恐らくGENELECです。スタジオを作ろうと決めた一昨年の11月ごろ、真っ先にスピーカー選定を始めました。イケベ楽器店の沼田進さん&宮永貴哉さんの協力の下、GENELEC、ADAM AUDIO、JBL PROFESSIONAL、PMCを候補に挙げました。
GENELECは数多くの導入実績と、SAM(DSP補正機能)の信頼性。ADAM AUDIOはMAスタジオを中心に導入実績が多く、その特徴はARTと呼ばれるリボン・ツィーターにあります。リボン・ツィーターで言えば、VIVE AUDIOの大型スピーカーは映画館導入が意外と多いです。
JBL PROFESSIONALはまさに往年の映画サウンドそのもの。映画の歴史=JBLと言っても過言ではないくらいの信頼に値するメーカーです。1983年、LUCASFILMが提唱したTHXシステムにいち早く認定されたのもJBLでした。ちなみに、THXシアターとして、映画制作者の意図を正確に再現できる基準をクリアした劇場は、2020年現在で日本に7スクリーンほどです。
PMCはDSP制御にも力を入れ始めていて、アメリカのキャピトル、イギリスのメトロポリスといったスタジオもPMCでDolby Atmosやサラウンド・システムを組んでいました。ベルギーにあるAuro-3D(ヨーロッパを中心に普及している立体音響規格)の本拠地、ギャラクシー・スタジオもPMCでスピーカー・レイアウトを組んでいます。
この4ブランドの製品で見積もりを取ることにしましたが、スピーカー・サイズの組み合わせも悩みました。すべてを統一するべきか、はたまたコストを抑えるためにも後ろのスピーカーや天井のスピーカーをワンサイズ小さくするべきか? 見積書とのにらめっこの日々。あっぷっぷしても全く笑えない金額です。
同じサイズでそろえるべきか?
大小組み合わせるべきか?
悩んだところで音を聴かなければ分からない!ということで幾つかのスタジオを訪問して音を聴かせてもらいました。Dolby Atmos対応では角川大映スタジオ(GENELEC)、P's STUDIO(JBL PROFESSIONAL)、Dolby Japan視聴室(PMC)。5.1ch(実際は5.2ch)はいつもお世話になっている音響ハウス(ADAM AUDIO)、サウンドイン(NES)。そしてPMCの代理店オタリテック、ADAM AUDIOの代理店ソニックエージェンシーから協力を得て、僕のXylomania Studioに5.1chのスピーカーを持ってきていただいての試聴も行いました。残念ながらJBL PROFESSIONAL LSRシリーズは生産完了しており、ここで3社に絞られます。Dolby Japan中山尚幸さんにスピーカー選定の話をお聞きしたときには、天井のスピーカーが同軸であることの優位性を説明してくださいました。
Dolby Atmos Home Entertainment Studio Certificationには、一つのスピーカーの低音の再生能力が40Hz(±3dB)と表記されています。つまりDolby Atmosの場合、一つ一つのスピーカー・スペックがとても重要。例えばGENELEC 8040Bの低域再生能力は41Hz(−6dB)なので、もうワンサイズ上の8050Bだとこの条件がクリアできます。同じGENELECでもSAM内蔵の8340Aや同軸スピーカーThe Onesの8341Aは45Hz(±1.5dB)となっています。
この条件をクリアするスピーカーとなると、単価が20万円を超えてきます。後ろや天井は小さくてもいいかな?思っていましたが、そう甘くはありません。同軸の8341Aで組めたら3ウェイだし最高だなとも思いましたが……マルチチャンネルの見積もりは恐ろしいです(笑)。
僕が当初目指していたのは日本では当時まだ導入されていない9.2.4chのシステム。つまり15本のスピーカーを購入する必要がありました。また5.1chサラウンドの仕事をしっかりやりたいという目標もあったので、5.1chのスピーカーは同機種にしたいのです。
映画館のフロント・スピーカーは3ウェイや4ウェイ構成が多いので、映画仕事のミックスにおいてダビング・ステージでの最終チェックを考えると、3ウェイ以上かなぁ……と心の片隅では思っていました。普段、劇伴仕事のミックス・チェックを音響ハウス3stもしくはサウンドインFstのどちらかで作業するのは、フロントが3ウェイのスピーカーで、スピーカーまでの距離が比較的取れ、コンソールが小さく、サブウーファーが2基あり、常設の5.2chであるからなのです。
経験豊かなポストプロダクション・エンジニアを
アドバイザーに迎える
工事費用と機材予算のバランスが難しいですが、スピーカーだけはこだわりたいところです。ちょうど2020年春の緊急事態宣言が発令され、工事も延期が決定。胃が痛い毎日でしたが、経験の浅い自分一人だけの判断では危ないと考え、当時beBlue AOYAMA StudioのMAエンジニア/サウンド・デザイナーでいらっしゃった染谷和孝氏さんにアドバイザーをお願いしようと思い、行動に移ります。経験豊かな先駆者の力は必要不可欠です。実は染谷さんとお会いしたいという思いが1年以上あったのですが、なかなか実現できなかったところ、スタジオのサラウンド調整でいつもお世話になっていたオタリテックの石井久雄さんのご紹介で、ようやくお会いできることになりました。
染谷さんはゲーム/映画業界から、僕は音楽業界からDolby Atmosに挑戦したい、日本全体のサウンドのクオリティと技術クオリティを上げるために自分がやるしかない。そんな思いを染谷さんに伝えると、Dolby Atmos普及のため、そこで培った経験を幅広く次の世代に広げることを条件に、快く引き受けてくださいました。この連載を引き受けた理由に、この染谷さんとの約束が一因としてあったのです。
そんな染谷さんとも一緒にスピーカー視聴を行ったところ、PMC Twotwoのサウンドが気に入り、今回導入することになりました。PMC独自技術ATLは、2ウェイ・スピーカーでも3ウェイのように奇麗な低音を表現してくれます。また石井さんという素晴らしい経験者と一緒に、このスタジオ造りに挑戦したいと思ったのが決め手でした。
最後は人だなと痛感する毎日です。しかしこの後、あまたのシステム・トラブルが未知の領域で起こり、みんなで四苦八苦する年末でした。その様子はまたどこかで書こうと思います。