『サウンド&レコーディング・マガジン』のバックナンバーから厳選したインタビューをお届け! テクノ・ポップのオリジネーターとされるクラフトワークは、徹底した秘密主義で知られていますが、2003年の『ツール・ド・フランス』リリース時にキーマンであるラルフ・ヒュッターへのインタビューが実現しました。このインタビューで語られている通り、その後はラップトップ中心のシステムで、世界中でツアーを敢行。特に立体映像と同期したサラウンドによる3-Dライブが好評で、2013年、2019年には日本公演も実現しましたが、1990年代には大掛かりなハードウェア中心のシステムで彼らはライブを行っており、この転換は当時大きな衝撃としてファンには受け止められました。
Interpretation:Mariko Kawahara
アルバムのアイディアは
ツアーの中でよみがえってきた
−ニュー・アルバムは、ツール・ド・フランス100周年記念のサウンドトラックとして制作したものなのでしょうか?
ラルフ 正確には違うんだ。知っての通り、私たちは20年前に「ツール・ド・フランス」という曲を作ってシングルとして発表した。当時から、この曲を元にしたアルバムを作ろうというコンセプトはあったんだが、結局、そのアイディアは棚上げになり、それとは別のテクノ・ポップ・アルバムを作ることになったんだ。それが1986年の『エレクトリック・カフェ』だ。このときはコンピューター・グラフィックスなどのデジタル映像を駆使したビデオなども作った。それからの12年間、私たちはヨーロッパで大々的なツアーを行なってきたしフェスティバルにも参加した。
−1998年には日本にも来られましたね。
ラルフ そう、1998年にはワールド・ツアーを行い、東京の赤坂ブリッツでも演奏した。こういったツアーにおいて、「ツール・ド・フランス」は映像を映しながら演奏していたんだが、その反応がいつもすごかったんだ。それで、アルバムを作るアイディアがまたよみがえってきたんだよ。それから、友達と共に歌詞作りに取り組み始めたりした。また昨年の9月に、パリのシテ・ド・ラ・ミュジークで私たちは新しいモバイル機材を使って“ツール・ド・フランス”のワールド・プレミア・コンサートを行ったんだ。このバンドは全員が熱心なサイクリング・ファンでね、時間があるとサイクリングをしているくらいなんだけど、そのときに“そうだ、来年はツール・ド・フランスの100周年だし、クラフトワークも33周年だからアルバムを作ってみようかな”という思いに駆られたんだ。曲やアイディアはたくさんあったから、その後から新曲に取り組んで10曲を書き上げた。私は友達のマキシム・シュミットと一緒に、歌詞やそのほかのアイディアを加えていったんだ。
−アルバムのアイディアはどういったところから得たものなのですか?
ラルフ このアルバムにはサイクリングのさまざまな側面を描いた曲が収録されている。例えば、「エレクトロ・カルディオグラム」はメディカル・テストが発想の元になっているんだ。いつも、スポーツ・ドクターがアルゴメーター(痛覚計)やエレクトロ・カルディオグラム(電子心電図)で、私を検査してくれているのでね。だからこの曲で聴かれる鼓動は、私の心臓の音をレコーディングしたものなんだよ。あの“ドドッドドッ”という音がそうだ。
−では、呼吸音も?
ラルフ “ハアハア”というのは私の呼吸だ。これらのアイディアを元にリズムを構築したんだ。テンポも私のエレクトロ・カルディオグラムに合わせた。こうしてアイディアを曲にしていってるんだ。また、「ヴィタミン」では、ミネラルやたんぱく質や炭水化物の供給源であるビタミンA、B、C、Dが描かれている。さらに、「リジェネラシオン」や「エアロ・ダイナミック」もサイクリングのアイディアを中心にしている曲だ。このアルバムのタイトルを『ツール・ド・フランス』(原題は『TOUR DE FRANCE SOUNDTRACKS』)としたのは、この作品があたかも自転車競技の“ツール・ド・フランス”のサウンドトラックのような音楽だったからなんだ。
ライブのサウンドチェックで
インプロビゼーションも試してみた
−曲作りにはどれくらいの時間をかけたのですか?
ラルフ ほぼ1年間をすべてアルバム制作に費やした。以前からいろいろとやってはいたが、本格的な作業を始めたのは、昨年の9月にパリでモバイル機材を使ったコンサートをやってからだね。また、昨年は12月に日本のエレクトラグライド2002に出演したし、今年の1月にはニュージーランドとオーストラリアでもフェスティバルと単独コンサートを行ったけど、その際のサウンドチェックでインプロビゼーションによる曲も試してみたんだ。そして、ツアーが終わってからアルバムの仕上げに取りかかった。シングルの「TOUR DE FRANCE 03」も全くの新バージョンで、歌詞も新しくなっている。そして、ようやくアルバムが完成してリリースの運びとなったわけだ。そういうわけで、本格的な作業は昨年から始まったけど、曲作り自体は連続したプロセスだから、アイディアや曲は常に湧いてきているよ。
−各曲がDJミックスのようにつなげられているのはどういう理由からなのですか?
ラルフ 映画のようにつなげたかったからだよ。アルバムをかけると、“映画『ツール・ド・フランス』”のための音楽が連続して流れるわけだ。テレビで自転車レースを見ながら、このアルバムを聴くこともできるしね。
−制作はすべて、デュッセルドルフにあるというあなた方のスタジオ、クリング・クラングで行っているのですか?
ラルフ そう、もちろんクリング・クラングで行った。このスタジオは1970年からあるんだが、友人でありパートナーでもあるフローリアン・シュナイダーと一緒にここでクラフトワークの作業を行ってきた。クラフトワークの前には2年間、オーガニゼーションという実験的なグループをやっていたけど、1970年以降はずっとクラフトワークを続けてきている。もう33年になるわけだ。その間に、さまざまなミュージシャン、アーティスト、映画監督、カメラマン、そして、もちろんテクニシャンやエンジニアと一緒にやってきた。ここ20年はサウンド兼コンピューター・エンジニアであるヘニング・シュミッツと一緒にやっている。彼とは、1983年のシングル『ツール・ド・フランス』でも一緒だった。そして同じく、サウンド兼コンピューター・エンジニアとして17年間一緒にやっているのがフリッツ・ヒルパートだ。
−シュミッツとヒルパートはクラフトワークの中でどのような役割を担っているのでしょうか?
ラルフ エンジニアでありミュージシャンでもある。ミュージック・エンジニアと呼んでもいいのではないかな。コンピューター・エンジニアでもいいけど。彼らは、私やフローリアンよりも、エンジニアとしてのバックグラウンドを持っているんだ。私たちは、どちらかというとクラシック、即興音楽、フリーフォーム・ミュージックのバックグラウンドを持っている。
−スタジオでは、あなたとシュナイダーが主に作曲を、シュミッツとヒルパートはエンジニアリングを担当しているということですか?
ラルフ すべてだよ。私たちがサウンドのアイディアを持ってきて、エンジニアリング面は曲によってヘニングかフリッツが担当する。ホーム・スタジオで作ったものをクリング・クラングに持ち込むこともあるけど、すべてはクリング・クラングで行われるんだ。歌詞は私が書くことが多くてね、アイディアをメモしておくこともある。フローリアンは絵を描くことが多くて、たまにロボットの絵を描いたりしている。クラフトワークのトレードマークであるあのロボットをね。アイディアはあらゆるところからやってくるんだ。
−昨年の来日ライブでは過去の曲がほとんどそのままの形で演奏されていましたが、今作は音楽性自体が現代的なものになっていると感じました。こういったサウンドの変化は意識的なものなのですか?
ラルフ いや、ただアイディアやツアーの状況に沿って演奏したり曲を作ったりしているだけだよ。例えば、「ヨーロッパ特急」や「メタル・オン・メタル」は物理的にハードで、ある意味ヘビーメタルだが、このアルバムはとても流動的でほとんどノイズがないサイレントな状態に感じられるという意見もあった。滑りながら徐々に移動している感じかな。それは私たちが、サイクリングのスピリットを表現したかったからだろう。呼吸をしながら、さっき君が言ったように曲から曲へとつながって進んでいく。例えば、“シャシャシャ〜”という滑るような効果音がかなり入っているだろう? このアルバムには滑って流れるようなサウンドが多いんだよ。
−ちなみにその“シャシャシャ〜”という音はどのようにして作ったんですか?
ラルフ コンピューターを使ったり、ツマミやスイッチを回したりしてだよ(笑)。私はキーボード・コントローラーを持っているので、それを使ってインプロバイズしながらプレイしているんだ。コンサートのサウンド・チェックで試したことを、パフォーマンスに組み込むこともある。
−ではスタジオでも、リアルタイムでプレイされることがあるんですね?
ラルフ ああ、それもある。あらゆる制作方法を使っているよ。レコーディングしたり、プログラミングしたり、リミックスしたり、いろいろなことをやっている。生で歌ったり、語りをやったりね。すぐにできてしまうこともあるけど、それは取っておいて、後になって聴き返してみて編集する。それで完成だ。
楽曲制作のメインとなる機材は
STEINBERG Cubase SX
−コンピューターを使い始めたのはいつごろのことなのですか?
ラルフ 1970年代の中期はコンピューターではなく、スタジオには大きなコンソールがあった。初めてコンピューターを手に入れたのはいつだったかな……『コンピューター・ワールド』というアルバムも作ったけど、あのときはコンピューターがまだ無かったんだ。だから、あの作品に登場するのは幻のコンピューターということになる。もちろん、アナログ・シーケンサーは持っていたし、ほかにも機材はあったけど、コンピューターは我々にとっては高根の花だったんだ。その後、1980年代中盤になると、クラフトワークをデジタル・フォーマットへ移行することにして、コンピューターを導入したり、プログラムをエディットしたりしだした。後にはそれがモバイル・デジタル・フォーマットになったんだ。だから、コンピューターの導入のプロセスは少しずつ進んでいったんだよ。実際にコンピューターを使うよりも、アイディアが先行していたんだな。
−現在、楽曲制作のメインとなる機材は?
ラルフ STEINBERG Cubase SXだね。
−それはいつごろから導入されたのですか?
ラルフ Cubase自体は随分前からだよ。私たちはCubaseのテスト・パイロットとして使われたんだ。私たちが必要なものをヘニングとフリッツがメーカーに伝えると、メーカーが私たちのために新しい特別なプログラムを書いてくれた。だれも持っていないものを持っていたわけだ。それで、私たちを使ったテストが行われた後に発売されたんだ。今の私たちは、基本的にはみんなと同じものを使っている。特別な機材が少しだけあるけど、“超特別なもの”というわけではないんだ。私は先ほども言ったように、キーボード・コントローラーをプレイしているよ。
−どのようなキーボード・コントローラーですか?
ラルフ 普通のMIDIキーボードだよ。もちろん、AKAI PROFESSIONALのサンプラーは、33年間にわたるクラフトワークの音楽をデジタル・フォーマットに変換して演奏するために使っている。クラフトワークのあらゆるデジタル・サウンド・ライブラリーがあるので、それを適宜、曲に組み込んでいるんだ。素晴らしいよ。今はモバイル環境だし、とてもうまく機能している。オーストラリアでプレイしたときは夜でも41℃もあって、昼間、メルボルンのテニス・プレイヤーたちはテニスコートに屋根を張るほどだった。でも、私たちのラップトップ・コンピューターは素晴らしく機能していてとてもラッキーだったね。これだったら、これからはもっといろいろなところへ行けると思うよ。
−楽曲制作の中心はMIDIプログラミングなのでしょうか? それともソフトウェア上で波形編集を行ったりもするのですか?
ラルフ コンピューター・ソフトで、レコーディングし直した曲や作りためておいた曲など、いろいろな素材を使って曲を作っているよ。特に変わったところはなく、みんなと同じようにやっているんだ。
−でも、あなた方はそういったコンピューター・ソフトを初期の段階から使われているわけですよね?
ラルフ そうだ。当時はもっと大変だったよ。まともに機能するだけの十分なメモリーがコンピューターになかったし、ありとあらゆるバグがあったから、あれは悲惨な時代だった。でも今はすべてがちゃんと機能しているよ。今のコンピューターはとてもしっかりしていて楽だと思うね
−多くの曲で、フィルターの開閉で音に独特の表情をつけていますが、どのようなエフェクターを使っているのですか?
ラルフ さまざまなプラグインを使っているよ。世に出回っているものはすべて持っているが、特に名前を挙げるほどのものはないね。普通のフィルターだよ。アナログ・フィルターに通すこともあるし、どんな機材でもOKなんだ。特に秘密はないよ。肝心なのは音楽を作曲するためのアイディアだね。
−ツアーの予定はありますか?
ラルフ あるよ。私は今ロンドンにあるレコード会社のオフィスに居るんだが、ちょうどアルバムが完成してきたところなんだ。あと数日してデュッセルドルフに戻ったら、自転車を持ってアルプスに登り、2週間くらいはリラックスするつもりだ。その後、スタジオに戻って次のワールド・ツアーに備えようと思っている。次のアルバムに向けての曲作りもやりたいしね。
−ぜひ、また日本でも演奏してください。
ラルフ そうだね。それは絶対だよ! 東京のエレクトロ・シーンは素晴らしいからね。私たちも東京のクラブに出かけたけど、そこではすごくいい音楽がかかっていたよ。フランキー・ナックルズとかね。あ、そういえば、さっき言い忘れたけど、去年の9月にパリに居たとき、シテ・ド・ラ・ミュジークの展覧会でクラフトワークのロボットが展示されたんだよ。その後、クラフトワークが日本やオーストラリアをツアーしていた間、ロボットは展示され続けていて、ロボット音楽でロボット・バレエを披露していたんだ。でも、ロボットはもうすぐデュッセルドルフに戻ってくるから、次回のツアーではまたロボットを使えるよ。
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Webサイト『サンレコ』では会員登録で『サウンド&レコーディング・マガジン』の創刊号から直近まで、全バックナンバーの閲覧が可能です。2003年10月号ではこのインタビューに加え、砂原良徳らによる分析も。大量のハードウェアを投入した来日公演レポートは1998年8月号で掲載しています。